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東京高等裁判所 平成3年(ネ)1084号 判決

平成三年(ネ)第九七三号事件・控訴人 同第一〇八四号事件・被控訴人(以下「第一審被告」という。)明和監査法人

右代表者代表社員 浦野文彦

平成三年(ネ)第一〇八四号事件・被控訴人(以下「第一審被告」という。)亡加藤利勝承継人 加藤晴雄

平成三年(ネ)第一〇八四号事件・被控訴人(以下「第一審被告」という。)亡武藤智夫承継人 武藤方子

同 武藤百合子

同 武藤勝彦

同 千葉明子

同 吉村恵美子

平成三年(ネ)第一〇八四号事件・被控訴人(以下「第一審被告」という。) 浦野文彦

同 高尾友三

同 長田静雄

同 桜井嘉雄

同 武田靖夫

同 中村孝

右一三名訴訟代理人弁護士 飯田隆

同 山岸良太

同 内田晴康

同 本林徹

同 古曳正夫

同 久保利英明

同 小林啓文

同 相原亮介

平成三年(ネ)第一〇八四号事件・被控訴人 東京海上火災保険株式会社(以下「第一審被告東京海上」という。)

右代表者代表取締役 河野俊二

右訴訟代理人弁護士 井波理朗

同 太田秀哉

同 柴崎伸一郎

平成三年(ネ)第九七三号事件・被控訴人 同第一〇八四号事件・控訴人(以下「第一審原告」という。) 日本コッパース有限会社

右代表者取締役 カール・ハインツ・マヤー

右訴訟代理人弁護士 石川明

同 西村寿男

右訴訟復代理人弁護士 長尾敏成

主文

一  1 第一審被告明和監査法人の控訴に基づき、原判決中第一審被告明和監査法人敗訴部分を取り消す。

2 第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する請求を棄却する。

二  1 第一審原告の控訴に基づき、原判決中第一審被告東京海上に関する部分を取り消す。

2 第一審原告の第一審被告東京海上に対する訴えを却下する。

3 第一審原告のその余の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事実及び理由

第一申立

一  第一審被告明和監査法人

1  主文第一項と同旨

2  第一審原告の控訴を棄却する。

二  第一審原告

1  第一審被告明和監査法人の控訴を棄却する。

2  原判決を次のとおり変更する。

(一) (債務不履行に基づく損害賠償として)

第一審被告明和監査法人は、第一審原告に対し、三億四一四八万八九六五円及びこれに対する昭和五六年五月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(二) (第一審被告明和監査法人が前項の金員の支払いができない場合、公認会計士法三四条の二二及び商法八〇条一項に基づく社員の責任の履行として)

第一審被告加藤利勝承継人加藤晴男、第一審被告武藤智夫承継人武藤方子、同武藤百合子、同武藤勝彦、同千葉明子、同吉村恵美子、第一審被告浦野文彦、同高尾友三、同長田静雄、同桜井嘉雄、同武田靖夫、同中村孝は、第一審被告明和監査法人が前項の金員の支払いができない場合、第一審原告に対し、連帯して、三億四一四八万八九六五円及びこれに対する昭和五六年五月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(三) (第一審被告明和監査法人に代位してする保険金請求として)

第一審被告東京海上は、第一審原告に対し、二億五〇〇〇万円及びこれに対する本判決言渡しの日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(四) 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。

(五) 仮執行の宣言

三  第一審被告ら(ただし、第一審被告明和監査法人、同東京海上を除く。)

第一審原告の控訴を棄却する。

四  第一審被告東京海上

1  本案前の答弁

(一) 原判決中第一審被告東京海上に対する請求を棄却した部分を取り消す。

(二) 第一審原告の第一審被告東京海上に対する訴えを却下する。

(三) 控訴費用は第一審原告の負担とする。

2  本案の答弁

(一) 第一審原告の控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は第一審原告の負担とする。

第二事案の概要

別紙「当事者の主張」を付加し、次のとおり付加・訂正・削除するほかは、原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一三頁一〇行目の次に行を改めて、「8 第一審被告東京海上は、昭和五三年、他の保険会社と共同で、日本公認会計士協会との間で、公認会計士が職業上相当な注意を怠ったことに基づく法律上の損害賠償責任につき、被保険者を第一審被告明和監査法人とし、保険金額を二億五〇〇〇万円とする公認会計士職業賠償責任保険契約を締結した(争いがない。)。」を加える。

2  同二〇頁一〇行目の「有限会社」の前に「資本金二〇〇〇万円の」を加え、同二一頁八行目の「これを確認」を「定期預金の通帳・証書の実査を」に改め、同二八頁三行目の次に行を改め、次のとおり加え、同四行目の「(三)」を「(五)」に改める。

「(三) (内部統制組織の不備と監査との関係)

内部統制組織に不備がある場合には、定期預金の入担の有無という監査要点の存否にかかわらず、不正発見のため、必ず定期預金通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続が義務付けられるか。

(四) (定期預金の実在性と利用可能性)

定期預金の実在性という監査要点には、通帳・証書が手元にありその利用が可能であるという利用可能性も含まれるか。」

3  同三一頁一〇行目から三二頁一行目までを削除し、同二行目の「6」、同三三頁三行目の「7」、同六行目の「8」、同一〇行目の「9」をそれぞれ「5」、「6」、「7」、「8」に改める。

第三争点に対する判断

一  本件監査契約の当事者

当事者間に争いのない事実及び証拠(甲第一号証、第三号証、第一二号証、第一六号証の一ないし四、第六一号証、第一二六号証の一ないし六、乙第一、第二号証、第三九、第四〇号証、第八五号証の一・二、証人甲野太郎、同佐藤栄太郎、第一審原告代表者ヘルマン・ムーライ〔昭和五九年、同六〇年当時、以下同じ〕、鑑定人山上一夫)によれば、以下の事実が認められる。

1  第一審原告は、ドイツのクルップ・コッパース・ゲー・エム・ベー・ハー(変更前の商号・ハインリッヒ・コッパース・ゲー・エム・ベー・ハー、以下「親会社」という。)が、その子会社として、我が国の法律により設立した有限会社であり、我が国において、コークス製造設備等の製作、販売等の業務を行っている。

2  承継前の第一審被告加藤(旧姓高山)利勝は、昭和四七年一〇月、第一審原告の任意監査を依頼された。その後、監査契約(以下、加藤利勝ないし第一審被告明和監査法人による第一審原告を被監査会社とする監査契約を「本件監査契約」という。)は、毎年更新され、加藤利勝が昭和五〇年七月第一審被告明和監査法人を設立したことに伴い、第一審被告明和監査法人が本件監査契約に基づく監査人の地位を承継した。

3  欧米では、会社が自社の監査報告書をその株主等に配付して会社の信用を高めようとする目的で、任意に自社及び子会社・関連会社の監査を受け、連結財務諸表を作成するなどの例が多く、そのような慣行が定着している国もある。

4  第一審原告のドイツの親会社は、子会社である第一審原告の監査報告書の内容自体に利害関係を持っており、自らその監査報告書を利用する目的を有していた。

加藤利勝に対し昭和四七年一一月七日付けで発行された監査委嘱状(乙第一、第二号証)は、親会社からのもののみであった。

乙第二号証の委嘱状において、監査報告書の提出期限は、昭和四八年五月末とされていた。しかし、第一審原告の定時社員総会は、定款上毎年二月に開催される定めであった。また、第一審原告の納税申告期限は、毎年二月末であった。

5  第一審原告の定款七条には、第一審原告の社員総会には第一審原告の取締役が監査人の監査を経た財務諸表を提出すべきものとされており、定款八条には、第一審原告が監査人を選定するには、第一審原告の社員総会の承認を要する旨規定されている。加藤利勝は、第一審原告の定款の内容を承知していた。

6  本件監査契約は、第一審原告の当時の代表取締役であったインゲンホフと加藤利勝との間でその締結のための交渉がなされた。

監査の内容、報酬額決定等の交渉に、第一審原告の親会社の担当取締役バーテルが関与したこともあったが、大部分は第一審原告と第一審被告明和監査法人との間でなされた。

本件監査契約において、監査報酬は第一審原告が支払うものと定められ、第一審被告明和監査法人は、監査報酬の請求を第一審原告に対して行い、第一審原告は、監査報酬をその資金で支払った。

7  加藤利勝の前任監査人であるプライス・ウォーターハウス及びクーパース・アンド・ライブランドの各公認会計士事務所は、監査報告書の正本を第一審原告の親会社に送付していた。

しかし、本件監査契約に基づく監査報告書は、当初第一審原告の社長宛に提出され、その後は、第一審原告の社員に当てて提出された。

毎年、第一審被告明和監査法人から第一審原告に監査報告書が提出された後、第一審原告の取締役と第一審被告明和監査法人の加藤利勝は、翌年の監査の時期と監査報酬について協議し、本件監査契約を更新していた。

8  第一審原告の社員である親会社では、毎年二月に行うべき第一審原告の社員総会を第一審原告の監査報告書が提出されてから行い、その社員総会議事録の日付を、実際に開催された社員総会の日付より遡らせて二月に行われたように記載していた。

9  第一審原告の定款に基づいて昭和四八年及び昭和四九年に開催された第一審原告の社員総会において、加藤利勝を各翌年度の監査人として選任した旨の決議をし、その旨が各社員総会議事録に記載されている。

右認定の事実によれば、本件監査の委嘱状は、本件監査契約締結の当初、第一審原告の親会社が発行したもののみであるが、本件監査の依頼は、ドイツの親会社が子会社である第一審原告の事業内容を把握することと第一審原告がその定款に基づき社員総会に監査報告書(監査人の監査を経た財務諸表)を提出することの二つの目的を同時に実現するためになされ、本件監査契約締結の交渉に親会社と第一審原告の双方の役員が関与していたこと、加藤利勝において第一審原告の定款の内容を承知しており、監査報酬は第一審原告が負担する約定であったことなどを考慮すると、本件監査契約は、第一審原告と親会社の双方が依頼者となって締結されたもので、第一審原告も本件監査契約の契約当事者となっていたものと認めるのが相当である。

二  本件監査契約の内容

当事者間に争いのない事実及び証拠(甲第三号証、第一二六号証の一ないし六、乙第一、第二号証、第七五号証、証人甲野太郎、同佐藤栄太郎、第一審被告明和監査法人代表者ヘルマン・ムーライ)によれば、以下の事実が認められる。

1  第一審原告は、我が国で設立された有限会社であり、昭和四七年度から同四九年度までは第一審被告明和監査法人の前身の公認会計士加藤利勝個人の監査を受け、昭和五〇年度以降は同公認会計士の地位を承継した第一審被告明和監査法人の監査を受けて、昭和五二年度の本件監査に至った。

2  本件監査契約は、任意監査として委嘱された通常の財務諸表監査であり、契約自体に「不正発見目的」もしくは「不正発見に重点を置く」との特約はなかった。本件監査の依頼の目的は、主として親会社との「連結財務諸表作成目的(連結決算目的)」であった。

3  本件監査の対象となる財務諸表の範囲は、第一審原告の昭和五二年度の貸借対照表と損益計算書であり、附属明細書、利益処分案は監査対象となる財務諸表ではなかった。同年度の貸借対照表には、借入金は存在せず、かつ、入担資産の項目がなく、入担資産の注記もなかった。

4  昭和五二年度の監査報酬は一三〇万円であった。これは、第一審原告について法定監査を行った場合の報酬額約三〇〇万円に比して著しく低額であった。

5  本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、第一審原告から長年にわたって信任された経営者直属の経理部長甲野太郎であった。

6  本件監査には、第一審被告明和監査法人の加藤利勝、佐藤栄太郎、中村孝の各公認会計士、大塚雅明公認会計士補の四名が関与し、昭和五二年一二月三一日現在の第一審原告の財務諸表について、昭和五三年一月及び二月に監査を実施して、同年二月二〇日監査を完了し、第一審被告明和監査法人において、同日付で無限定の適正意見を付した監査報告書を作成し第一審原告の社員宛てに提出した。

7  昭和五二年一二月三一日現在、第一審原告には、次のとおり甲野経理部長の不正行為があったが、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、右不正行為を発見することができなかった。

(一) 三井銀行からの不正借入れ 二億円

(二) 三井銀行に対する定期預金 二億〇五〇〇万円の無断担保差入れ

(三) 住友銀行からの不正借入れ 二億七〇〇〇万円

(四) 住友銀行に対する定期預金 一〇〇〇万円二口の無断解約

(五) 支払手形の不正振出 四億四一〇五万一〇〇〇円

三  定期預金の入担の有無についての監査の要否

証拠(甲第二八、第二九号証、乙第二一、第二二号証、第三〇ないし第三三号証、第五九ないし第六一号証、第八六ないし第八八号証、第九一号証、第九三ないし第九五号証、第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人佐藤栄太郎、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。

1  今日の財務諸表監査は、被監査会社の採用している会計処理方法が一般に公正妥当と認められた会計処理基準に準拠しているか否か、右会計処理方法に継続性が認められるか否か、財務諸表の表示方法が一般に公正妥当と認められる基準に準拠しているか否かを検証することによって、被監査会社作成の財務諸表が被監査会社の財政状態と経営成績を適正に表示しているか否かについて、監査人の意見を表明することを目的としている。

2  経済安定本部企業会計制度対策調査会が昭和二四年に制定した企業会計原則の第三貸借対照表原則一Cは、債務の担保に供している資産等企業の財政状態を判断するために重要な事項は、貸借対照表に注記しなければならないと定めている。しかし、企業会計原則は、証券取引法の適用のある公開会社の会計(以下「証取会計」という。)向けの監査基準であり、有限会社には適用されない。

企業会計原則は、公認会計士が、公認会計士法及び証券取引法に基づき財務諸表の監査をする場合において従わなければならない基準である。昭和二四年七月九日経済安定本部企業会計制度対策調査会中間報告「企業会計原則の設定について」によれば、企業会計原則は、企業会計の実務の中に慣習として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところを要約したものであって、必ずしも法令によって強制されないでも、すべての企業がその会計を処理するにあたって従わなければならない基準であるとされている。

このように企業会計原則は、上場企業において適用されることを前提としているが、啓蒙的な学理学説を含むものであって、大企業であっても、必ずしも企業会計原則どおり財務諸表を作成しているわけではない。また、企業会計原則には法令と一致しない点があったので、昭和三七年に企業会計原則を大幅に取り入れた商法の改正がされたが、商法の計算規定は、いまだ企業会計原則と矛盾する部分を残していたので、昭和三八年に商法が強行法規であることを考慮して、企業会計原則を商法の線に歩み寄って一部修正した。

以上によれば、企業会計原則には、法的な拘束力はないものというべきである。また、有限会社が企業会計原則に基づいて財務諸表を作成すべきものとする商慣習の存在することも認められない。

3  証券取引委員会が、証券取引法の委任を受けて、昭和二五年に企業会計原則を基礎として制定した財務諸表規則(財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則)は、上場会社等が大蔵大臣に提出する財務諸表に係るものであって、株式の公開された大会社に適用されるものであるから、非公開会社である有限会社には適用されない。

4  商法三二条二項が総則規定として有限会社に適用されると解しても、資本金一億円以下の小株式会社よりも更に小規模な有限会社について、株式公開の大会社に適用される証取会計向けの企業会計原則の全体が、商法の計算書類規則を越えて、商法三二条二項の「公正ナル会計慣行」であるということはできない。したがって、企業会計原則は、有限会社については、何ら法的な拘束力を及ぼさないものである。

5  有限会社法四六条は、商法の計算に関する規定を有限会社に準用しているが、これは計算書類の確定、流動資産、固定資産、繰延資産、引当金、準備金などに限られており、それ以上の準用規定はない。

商法の計算書類規則(株式会社の貸借対照表、損益計算書及び附属明細書に関する規則)は、株式会社にのみ適用されるものであり、有限会社に直接適用されるものではない。

6  昭和五二、三年当時、資本金二〇〇〇万円の有限会社であった第一審原告は、同規模の小株式会社に準じて商法の計算書類規則に従って貸借対照表、損益計算書を作成すれば十分であった。資本金二〇〇〇万円の有限会社の貸借対照表に入担資産の注記が記載されていなければ、監査人は、計算書類規則(改正前の四七条)に従って小株式会社に準じて入担資産の注記を省略しているものと解してよい。また、本件監査では、附属明細書は監査対象になっておらず、計算書類規則上の附属明細書の担保明細についても監査する必要はなかった。

7  本件監査の被監査会社である第一審原告は、前受金の入金があってから下請代金を支払えば足りるという特殊な業務形態であって、借入金を必要としない財務体質(無借金体質)の会社であったことから、会社の財務諸表に借入金の勘定科目がなく、入担の事実が注記されないのが常態であって、本件監査において、入担資産の有無は監査要点(監査の立証命題)になっていなかった。

8  大蔵省企業会計審議会が答申した監査基準、監査実施準則、監査報告準則は、職業的監査人が財務諸表の監査を行うにあたり、遵守すべきものとして設定されたものであるとされている。監査実施準則による預金の監査手続は、従来「預金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしくは通帳を閲覧し、又は、預金先に対して確認を求め、関係帳簿残高と照合する」とされていたが、平成元年五月の改訂によって、「預金については預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する」と改められた。

しかし、この監査基準、監査実施準則は、証券取引法に基づく監査(以下「証取監査」という。)を対象とするものであり、中小企業に対する任意監査には直接適用されるものではなく、その監査手続の上限を示すものである。したがって、監査基準、監査準則に盛られた監査に関する一般的な原則が有限会社に適用されることはあっても、その全体が常に有限会社に機械的に適用されるものではなく、また、有限会社につき、監査基準、監査実施準則に基づき監査を実施する商慣習があるとも認められない。

昭和五二、三年当時、有限会社に対する任意監査において、監査要点の有無にかかわらず、監査実施準則に記載された監査手続を機械的に実施すべきものではなかった。本件監査においては、附属明細書が監査の対象となっていなかったこと及び貸借対照表に入担資産の注記がない以上、小株式会社に準じて注記が省略されているものとしてよく、入担の有無は監査要点ではなかったから、監査実施準則上この点を確かめる監査手続である通帳・証書の実査(閲覧)を行う必要はなかった。

以上によれば、本件監査において、入担資産の有無は監査要点ではなかったから、第一審被告明和監査法人は、定期預金の入担の有無について監査する必要はなかったというべきである。したがって、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、預金残高証明書により預金残高の妥当性、即ち実在性を監査すれば足り、入担の有無の監査のため定期預金の通帳・証書の実査(閲覧)を行うべき義務はなかった。

なお、本件監査において定期預金の入担の有無が監査要点でなかったことについては、第一審原告も自認するところである。

四  本件監査と不正発見目的との関係

証拠(甲第八八号証、第一三二号証、乙第一五号証、第一七、第一八号証、乙第七五号証、第七六号証の一・二、第九二号証、第一四四号証、第一四九号証、第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人佐藤栄太郎、第一審被告明和監査法人代表者ヘルマン・ムーライ、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。

1  財務諸表監査においては、監査人は、財務諸表の適否について意見を表明するものであって、財務諸表の正確性や特定の客観的事実(例えば、役員、役職者、従業員の不正行為のないこと)の存否を証明するものではない。

2  近代の監査は、財務諸表の適正性または適法性を監査するもので、不正発見を目的として実施されるものではないから、被監査会社は、従業員の不正防止の機能を公認会計士に依存することはできない。もちろん、監査の途上で不正を発見することもありうるが、それは副次的なものにすぎない。不正行為の発見を特約することはできるが、不正発見を目的とすると、その監査費用は企業が負担できないほど多額なものとなることがあり、また、それだけの費用をかけても不正を発見できないという不都合が生ずることがある。いずれにしても、不正発見目的の合意のない限り、財務諸表監査においては、使い込み等の不正発見を目的とした監査手続を行う必要はない。

3  本件監査契約においては、不正を発見すべしという特約はなかった。このことは、本件の監査報酬が約一三〇万円であって、証取監査の標準報酬の半額以下であったことからも裏付けられる。このように不正発見目的の特約がなかったことに加え、監査報酬が低額であったことから、本件監査は特に不正発見が期待されている監査ではなかったということができる。

4  昭和五二年当時の我が国の財務諸表監査においては、不正行為の発見の比重は必ずしも重くなく、昭和四〇年に山陽特殊製鋼倒産事件を契機として監査実施準則が改訂されたのを受けて、会社経営者について会計上の粉飾の有無を中心に財務諸表監査が行われており、企業幹部・役職者の財産上の不正は念頭に置かれていなかった。

我が国の財務諸表監査の実務において、役職者の不正行為などの発見が一定の比重をもつものと一般に認識されたのは、昭和六二年に経営者・幹部職員による横領などの不正行為が相次いで発生し、日本公認会計士協会長から同年二月二八日付の「企業、特に役職者の不正行為等に対し、監査上有効な対応策について」検討するようにとの諮問がされ、同協会監査第一委員会が昭和六三年一〇月四日付で同委員会報告第五〇号「相対的に危険度の高い財務諸表項目の監査手続の充実強化について」を答申し、これに連動して、大蔵省企業会計審議会が平成元年五月一一日に監査実施準則を「財務諸表に重要な影響を及ぼす不正行為等の発生の可能性に対処するため、相対的に危険性の高い財務諸表項目に係る監査手続を充実強化する」改訂を行った以降のことである。

5  本件監査の第一審原告側の窓口責任者甲野太郎は、経営者に直属して長年にわたって経理を任され、信任された経理部長であった。監査手続が右のように強化される前の昭和五二、三年当時、監査人において、被監査会社の信任された幹部職員である監査窓口責任者が不正行為を行うことを予測して監査を行うことは要求されていなかった。

以上によれば、昭和五二、三年当時、不正発見目的の特約のない通常の財務諸表監査において、監査人は、一般に公正妥当と認められた監査基準に従い、職業的専門家の正当な注意をもって監査を実施すれば足り、監査人が右注意義務を尽くしていれば、幹部職員、従業員等の不正行為を発見できないまま無限定の適正意見を表明したとしても、責任を負うことはないというべきである。

なお、監査人が通常実施すべき監査手続を行う過程で結果的に幹部職員、従業員等の不正行為を発見した場合には、その旨を監査依頼者に指摘・報告すれば足りる。

五  内部統制組織の不備と監査の関係

証拠(甲第五八号証、第九三、第九四号証、乙第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人甲野太郎、同佐藤栄太郎、第一審被告明和監査法人代表者ヘルマン・ムーライ、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。

1  第一審原告では経理部長の甲野太郎が印鑑類、手形小切手帳、通帳、証書、受取手形のすべてを保管していた。

第一審被告明和監査法人の加藤利勝は、昭和四七年に第一審原告の代表取締役インゲンホフに対し、代表取締役印の保管及び捺印を改善するよう進言したが、同人は改善しなかった。

2  昭和五二、三年当時、第一審原告の役員であるムーライとブーライクが甲野経理部長を監督する任務を分担していた。ブーライクは、ケルン大学の商学部を卒業した営業及び経理担当の取締役であった。ムーライもブーライクも、日本の経済社会における手形や代表者印、銀行取引印の重要性を認識していた。しかし、第一審原告では、手形帳、小切手帳、印鑑などを経理部の金庫に入れて保管しており、甲野経理部長は、これらを自由に使用することができた。

会計帳簿は、英文で、しかもドイツで作成される様式に従って作成されていた。ブーライクは、帳簿やファイル類をよくみていた。ムーライの事務机にも銀行からの当座勘定照合表が提出された。しかし、ムーライは、これを経理事務のチェックのために使用したことはなかった。

3  本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、前認定のとおり、経営者に直属する経理部長の甲野太郎であった。同人は第一審原告から長年にわたって信任され、経理事務を任されていた。経理事務の補助者として鈴木歌子がいたが、二人の間には何らの牽制関係も設定されていなかった。

4  右のとおり、第一審原告は小規模会社であり、その内部統制組織は必ずしも十分ではなかった。第一審被告明和監査法人は、本件監査において、第一審原告の経理部長甲野太郎の周辺の内部統制不備部分について、「期末の預金残高をすべて確かめる」、「当座勘定照合表に異常な動きがないか通覧する」という慎重な監査計画を立て、監査を実施したが、異常は確認されなかった。

5  被監査会社の内部統制組織が不備であるというだけでは、従業員、幹部職員の不正行為の発見を直接の目的として監査を実施すべきであるとまではいえない。監査人は、被監査会社の内部統制組織が不備な場合にも、通常実施すべき監査手続を行う過程で当該不備部分に関連する現金・預金の期中の動きや期末の帳簿残高の信頼性を確かめれば足り、不正発見目的の特約がないのに、内部統制組織の不備な部分に不正のないことを確かめることを監査要点とし、不正のないことを調べる監査手続を行うことは、監査人に義務づけられていない。

6  内部統制組織の不備部分に関連して、期中の動きや期末の帳簿残高の信頼性を把握するための監査手続は、特定の監査手続としてその内容が一義的に定まるものではなく、被監査会社の状況に応じて相当の配慮をした監査手続が実施され、大局的な信頼性が確かめられれば足りる。

即ち、内部統制組織に不備があるからといって、監査要点と関係なく、特定の監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)だけは行うべきであるということにはならない。

また、財務諸表監査は不正発見を目的とするものではないから、監査人は、内部統制に不備があることを理由として、監査要点がないのに、監査実施準則に機械的に従って通帳・証書の実査(閲覧)するよう義務づけられるものでもない。

六  定期預金の実在性と利用可能性

証拠(甲第五九号証、乙第一一一号、第一四五号証、第一六〇号証の二、第一六一号証、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。

1  定期預金の実在性という監査要点には通帳・証書が手元にあってその利用が可能であるという利用可能性は含まれていない。定期預金の実在性の検証とは、定期預金が期末の帳簿残高もしくは貸借対照表の計上金額どおりに存在しているかどうかを確かめるための監査手続である。預金は、預金者が銀行等の金融機関に対して保有している金銭債権であるから、その実在性は、通帳・証書が手元に実在しているかどうかよりも、債権金額どおりに預金債権が存在しているかどうかが重視される。

2  監査論において、預金が実際に利用可能であるかどうかを確かめるとされるのは、預金を担保として差し入れているかどうかとの関連においてのみである。預金を担保に差し入れることによって、自らその利用可能性を一時的にせよ失うことになったときにのみ、利用可能性を失ったとして入担資産の注記による開示を行えば足りる。

3  アメリカでは「即時使用及び用途につき制限のある現金(手許現金のみでなく、銀行にある現金としての当座預金を含む。)については妥当な記述を行うか、又は、流動資産から除外する」(アメリカ公認会計士協会・会計調査研究第七号)といった会計慣行が確立しているが、我が国では、会計監査の担当者は、預金の実在性の検証としては、預金通帳もしくは証書が手元に実在し、その意味で即時支払に充当できるかどうかの検討までは要求されていない。

4  入担資産の注記による開示が監査要点となる場合(本件監査では定期預金の入担の有無は監査要点となっていなかった。)は、預金を担保に入れている事実があったとき、監査人は、この点をチェックし、入担の事実について正しい開示が行われているかどうかを調査・検討すれば足りる。

印鑑押捺のうえ通帳や証書の占有を移転する、あるいは通帳・証書を相手方に渡し預金受領の代理権を与えるなどの方法で実質上担保に入れたり、譲渡することが可能であるという実質的な観点から定期預金の実在性の有無について検討し確認することは必要でない。

5  前記のとおり、我が国の監査実施準則による預金の監査手続は、従来「預金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしくは通帳を閲覧し、又は、預金先に対して確認を求め、関係帳簿残高と照合する」とされていたが、平成元年五月の改訂によって、「預金については預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する」と改められた。

右によれば、昭和五二、三年当時は、監査実施準則上、預金の監査手続として「確認」と「残高証明書の入手と通帳・証書の閲覧」のどちらかを選択できるものとされていた。そこで、「確認」が選択され、銀行から預金残高を確認する確認状が発行された場合には、通帳・証書の閲覧の手続を行う必要はなかった。したがって、当時の監査実施準則では、「通帳・証書の閲覧」の監査手続は、必ず実施しなければならない監査手続として義務づけられていなかったものであり、通帳・証書が手元にあることによる実質的な利用可能性は、監査において検討対象となっていなかったものである。

監査実施準則は、前記のとおり、平成元年に、当時役職者の不正が多発したことを受けて、不正発見のための監査手続を強化するため改訂され、預金の監査手続は、「通帳・証書の閲覧」が削除され、実施されるべき監査手続は「確認」のみとなった。新準則は、預金の実在性を確かめるため、監査人が直接預金先に対して確認することを定め、確認の際、借入金の担保となっている預金の種類・金額についても回答を要求すれば、預金証書又は通帳の閲覧は不必要となるので、削除されたものである。

以上のとおり、証取監査を対象とする監査実施準則ですら、定期預金の実在性の監査手続としては、通帳・証書が手元にあって実質的にその利用が可能であるという利用可能性を確かめることを義務づけたことはなかったし、そのための監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)を義務づけてはいなかった。換言すれば、従来、預金の監査手続において、通帳・証書の閲覧が必要とされてきたのは、預金を担保に入れて借入れをしていないかどうかを確かめるためであったのである。

6  昭和五六年に発表された日本公認会計士協会監査第一委員会による「監査マニュアル」においても、「預金の実在性の検証の観点からは、通帳・証書の実査の必要はない」と解説されており、定期預金の実在性の中に通帳・証書が手元にあって実質的な利用可能性があることは含まれていないことが明らかにされている。

7  我が国の貸借対照表においては、流動資産中の現金・預金の科目にあげられる債権は、一年以内に弁済期が到来するいわゆるワンイヤー・ルールに適合する債権であればよく、預金の拘束性に関して、この他に表示すべき財務情報は、担保注記のみであり、通帳・証書が手元にあって支払手段として実質的に利用可能であることまでは要求されていない。

したがって、我が国では、監査人は、一年以内に弁済期が到来する預金債権であって銀行が残高を認め法的に存在することを確かめることができれば十分であり、通帳・証書が手元にあって実質的に利用可能であり即時支払に充足できることまでを確かめることは、貸借対照表の表示内容として監査人に義務づけられていない。

七  定期預金の残高証明書の直接入手義務の有無

第一審被告明和監査法人が、本件監査にあたり、第一審原告の取引銀行から直接定期預金の残高証明書を入手せず、第一審原告が銀行から入手していた定期預金の残高証明書を使用したことは、当事者間に争いがない。

監査人が監査に際し、残高証明書を直接入手すべきか否かについては両説ありうる。しかしながら、証拠(甲第九号証の三、乙第一四四、第一四五号証、第一六二、第一六三号証の各二)によれば、前記のとおり、昭和五二、三年当時は、証取監査を対象とする監査実施準則においてさえ、「預金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしくは通帳を閲覧し、又は、預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。」と定められ、預金の実在性を確かめるには、「残高証明書の入手と通帳・証書の閲覧」と「確認」のいずれかの手続を選択すればよいとされていた。この「残高証明書の入手」と「確認」の違いについては、平成元年における監査実施準則の改訂の際の従前の監査手続の説明において、「会社が預金先から入手した残高証明書の提出を求め、それを用いて関係帳簿残高と照合し、あわせて預金証書もしくは通帳を閲覧する。監査人が、直接、預金先に対して確認を行い、その回答書と関係帳簿残高と照合する。」と説明され、残高証明書は会社が入手したものを利用することとされていた。

監査人が、直接、預金先に対し確認を行うことが定められたのは、役職者による不正行為に対する対応策が検討され、昭和六三年一〇月、監査第一委員会報告五〇号(乙第一四四号証)として発表され、更に平成元年五月、監査実施準則の改定(乙第一四五号証)が行われた以後のことである。

したがって、昭和五二、三年当時、監査人は、定期預金の残高証明書について、被監査会社が銀行から発行してもらって用意していたものを利用すれば足り、監査人に残高証明書の直接入手義務はなかった。

なお、本件監査に使用された定期預金の残高証明書は、いずれも銀行によって真正に発行されたものであって、偽造されたものではなかったから、第一審被告明和監査法人が残高証明書を直接入手したか否かは、甲野経理部長の銀行からの無断借入れ等の不正行為の発見に結びつかなかった。

八  定期預金通帳の不存在等と第一審被告明和監査法人の注意義務違反の有無

当事者間に争いのない事実、前認定の事実及び証拠(甲第二号証の一・二・一六・四八・四九、第三号証、第八号証、第一三号証、第九三ないし第九五号証、第一〇二ないし第一二五号証、乙第七一号証の一・二、第二〇三、第二〇四号証の各一、証人甲野太郎、同佐藤栄太郎、同大塚雅明、第一審被告明和監査法人代表者ヘルマン・ムーライ、鑑定人山上一夫)によれば、以下の事実が認められる。

1  第一審原告は、第一審被告明和監査法人が監査を引き継ぐ以前から毎年任意監査を受け、内部統制の不備等を理由に監査意見差し控えとなったことはなかった。本件監査は、任意監査として委嘱された通常の財務諸表監査であり、主として第一審原告の親会社との連結財務諸表の作成を目的としたもので、不正発見目的の特約はなかった。

昭和五二年度の監査報酬は、一三〇万円であり、法定監査を行った場合の報酬額約三〇〇万円に比して著しく低額であった。

2  本件監査の対象である財務諸表の範囲は、貸借対照表、損益計算書であり、附属明細書、利益処分案は監査対象ではなかった。昭和五二年度の貸借対照表には、借入金は存在せず、入担資産の項目と注記は存在しなかった。

なお、監査実施準則の定める借入金の調査は、貸借対照表及び会計帳簿に借入金の勘定残高が存在する場合のその額の当否を確認する手続であって、簿外借入金の存否の確認手続ではない。第一審被告明和監査法人は、第一審原告が無借金体質の企業であり、昭和四七年度以降無借金経営を続けており、昭和五二年度の貸借対照表及び会計帳簿にも借入金の計上がされておらず、借入金の調査をする必要がなかったことから、第一審原告の取引銀行に対し、監査実施準則に基づく借入金残高の調査をしなかった。

3  第一審原告は、第一審被告明和監査法人が監査を担当する以前から、代表者印、銀行取引印、約束手形等の保管を甲野経理部長に委ねており、手形・小切手の振出、銀行取引全般を同部長が行っていた。

本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、同社から長年にわたって信任された経営者直属の甲野経理部長であった。

4  甲野経理部長は、自己が3の立場にあることを奇貨として、昭和五二年一二月三一日までに、次の不正行為を行っていたが、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、この事実を発見することができなかった。

(一) 三井銀行からの不正借入れ 二億円

(二) 三井銀行に対する定期預金 二億〇五〇〇万円の無断担保差入れ

(三) 住友銀行からの不正借入れ 二億七〇〇〇万円(預金担保なし)

(四) 住友銀行に対する定期預金 一〇〇〇万円二口の無断解約(ただし、直後に組み戻しがなされた。)

(五) 支払手形の不正振出 四億四一〇五万一〇〇〇円(簿外処理)

5  甲野経理部長は、右不正行為について、次のような隠蔽・偽装工作をしていた。

(一) 4のすべての不正行為を元帳その他の会計記録に一切反映させることなく完全に帳簿外で処理していた。

(二) 期末のすべての銀行預金の残高を正規の残高と一致させていた。

(三) 4の不正行為がなされると、銀行から定期的に送付される当座勘定照合表に異常な動きが記載されるので、その発覚を免れるため、三井銀行、住友銀行等の当座勘定照合表の本紙を印刷業者に本物そっくりに印刷させ、全く同一のタイプライターを用意して印字まで一致させて、不正手形振出、不正借入れその他の不正行為の動きをすべて除外した正規の当座取引のみを記入した当座勘定照合表を偽造した。

(四) 住友銀行の定期預金の無断解約については、銀行に対しては通帳を紛失したと装って解約し、直後に組み戻すという隠蔽工作をして、所持していた通帳に解約の記帳を免れた上、監査人に解約の記帳されていない右通帳を提示して、不正を隠蔽した。

(五) 三井銀行の定期預金の通帳については、次のとおり、「満期書換えのため通帳が手元にない」旨の弁解をして、第一審被告明和監査法人の大塚公認会計士補を欺罔した。

(1)  大塚会計士補は、定期預金について、ワンイヤー・ルールの確認のため、満期日を調べようと元帳を見たが、銀行の定期預金についての満期日がすべて記載されていなかった。そこで、同会計士補は、通帳・証書を閲覧して満期日を確かめることとし、甲野経理部長に定期預金の通帳・証書の提出を求めたところ、三井銀行日比谷支店の通帳が会社になく提出されなかった。甲野経理部長は、同銀行の定期預金の中に、監査当日(昭和五三年一月三〇日・月曜日)の直前の営業日(同月二七日・金曜日)に満期の到来するものがあったことを奇貨として、「満期のため通帳を書換えに出した」と同会計士補に虚偽の説明をした。

(2)  大塚会計士補が、甲野経理部長に三井銀行日比谷支店の定期預金通帳を取り寄せるよう求めたところ、同部長は、銀行に行って通帳を貸し出すよう求めたが、貸出を断られた。同部長は、同会計士補に対し、通帳を預かっている得意先係の担当者が病気で休んでいると虚偽の説明をし、三井銀行から定期預金の満期日等を確かめる資料として発行を受けた、同行の用箋に同行の印が押捺された「定期預金の預り明細書」を同会計士補に提出した。右「定期預金の預り明細書」には右満期の到来する定期預金が記載されており、定期預金について「入担」の記載はなかった。

6  甲野経理部長は、本件監査の終了した直後の昭和五三年三月から、それまで行ってきた隠蔽・偽装工作を続けることを放棄した。したがって、第一審原告の取締役が当座勘定照合表や元帳とマンスリー・レポートを見るなど通常の監督をしていれば、少なくとも、同年四月頃には、甲野経理部長の不正行為を発見することが可能な状況になった。

7 第一審被告明和監査法人は、本件監査において、定期預金監査の立証命題である監査要点として、(1) 預金勘定残高の妥当性(実在性)、(2) ワンイヤー・ルールに従った流動資産と固定資産の区分の適正性をあげた上、大塚会計士補が佐藤公認会計士の指示を受けながら、第一審原告の内部統制の不備部分について、次のとおり慎重な監査を実施した。

(一) 甲野経理部長に印鑑や手形・小切手帳等の保管が任されていたので、銀行預金の期末残高の検証を重視し、預金の期末残高という監査要点に対して、すべての預金口座について、銀行発行の期末日現在の残高証明書によって預金の期末残高を照合するという監査計画を立て、監査手続を実施したが、異常は認められなかった。

(二) 不正が行われれば必ず当座預金口座に異常な動きが出るため、第一審原告の収益のうち大きなウェートを占めていた受取利息の当座預金口座への入金額をチェックするため、当座勘定照合表を見る監査手続をするにあたり、当該決算年度中のすべての銀行の当座勘定照合表の本紙を通覧する監査計画を立て、その監査手続を実施した。しかし、甲野経理部長の「当座勘定照合表の精巧な偽造」という隠蔽工作のため、当座勘定照合表の本紙上、異常な動きを発見することができなかった。

なお、偽造された当座勘定照合表にタイプミスした部分があり、大塚会計士補は、照合表と元帳の記載の齟齬する点に気付いたが、甲野経理部長は、言い逃れをして切り抜けた。

8  第一審被告明和監査法人の大塚会計士補は、右のような慎重な監査をしても異常が認められなかったため、定期預金の監査を終了し、以上認定の諸事情から、三井銀行の定期預金通帳が会社に存在しなかったことに関し、甲野経理部長に不正が存するとの疑念を持たなかった。

そこで、本件に現れた全事情を総合して、第一審被告明和監査法人に、三井銀行日比谷支店の定期預金通帳の不存在等について、甲野経理部長に不正が存するとの疑念を持つべきであったのにこれを怠ったという注意義務違反があるか否かについて検討する。

証拠(甲第三号証、第九号証の三、乙第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。

1  本件監査契約においては、定期預金について入担の有無という監査要点は存在せず、第一審被告明和監査法人は、通帳を実査(閲覧)する義務も必要もなかった。

2  監査論上、財務諸表監査は、不正発見を目的として実施されるものではない。しかも、本件監査契約には不正を発見すべしという特約はなかった。このことは、本件の監査報酬が一三〇万円であって、証取監査の標準報酬の半額以下であったことからも裏付けられる。このように不正発見目的の特約がなかったことに加え、監査報酬が低額であったことからして、本件監査は特に不正発見が期待されている監査ではなかった。

3  大塚会計士補は、定期預金の表示の妥当性という監査要点に係るワンイヤー・ルールに関して、定期預金の満期日を確かめるため、第一審原告の手元にあった通帳・証書の閲覧を行ったところ、三井銀行日比谷支店の定期預金の通帳がなかった。これに対し、第一審原告側の監査の窓口責任者である甲野経理部長は、大塚会計士補に対し、定期預金の通帳が手元にない理由について、「満期のため通帳を銀行に書換えに預けている」という日常しばしばみられる十分説得力のある説明をした。

4  甲野経理部長は、第一審原告の経営者に直属して長年経理を任され信任された幹部職員で本件監査の窓口責任者であった。第一審被告明和監査法人は、昭和五二、三年当時、このような被監査会社の窓口責任者で会社に信任された幹部職員が不正行為を行うことを予測して監査を行う義務はなかった。

5  監査の直前に満期日の到来する三井銀行の定期預金が、元帳上に記載されていた。監査人において信頼しうる監査窓口責任者である甲野経理部長が、大塚会計士補に対し、元帳という客観的証拠に裏付けられた日常的で納得性のある説明をしたので、同会計士補としては、定期預金の通帳が会社の手元になかったことについて、全く疑念を持ちようがなかった。

6  被監査会社である第一審原告は、当期末に限らず毎期借入金残高がなく、借金を全く必要としない体質(無借金体質)の会社であった。したがって、大塚会計士補が、定期預金の通帳が会社になかったことを理由に、これを担保差入れに結び付けることは、信頼すべき監査の窓口責任者であり、かつ、元帳により客観的に裏付けられた日常的な納得性のある説明をしている甲野経理部長に対して不正の疑念を持つということにほかならず、当時の状況からして同部長の担保差入れを疑うことは同会計士補の思い及ばないことであった。

7  第一審被告明和監査法人は、甲野経理部長の周辺に存する内部統制の不備部分に関し、慎重に配慮する監査計画を立て、期末の預金残高をすべて確かめ、期中の動きについては異常な動きがあるか否かを当座勘定照合表を通覧して確かめるという監査手続を行った。ところが、甲野経理部長は、期末の残高合わせや銀行から送付される当座勘定照合表の本紙を極めて精巧に偽造するという我が国の監査人がそれまで経験したことがなく、我が国の監査の歴史上、初めてなされた偽装工作によって不正行為を隠蔽していたため、大塚会計士補は、当座勘定照合表の通覧によって期中に異常な動きが出ることを確かめることができなかった。

8  また、甲野経理部長は、大塚会計士補に対し、通帳の代わりに三井銀行発行の定期預金の預り明細書を提出した。その明細書には、定期預金の入担の事実の記載はなく、しかも、その満期日の記載から元帳に記載されていた定期預金は直前に満期の到来するものであることが確かめられたため、大塚会計士補は、ワンイヤー・ルールの調査を終え、定期預金の監査手続を完了した。

9  このように本件監査では、第一審被告明和監査法人において、慎重な監査計画により内部統制不備部分について監査を実施した結果、不正行為に通ずる異常が見当たらなかった。このような状況の下で、信頼しうる監査窓口責任者である甲野経理部長が、元帳という客観的な根拠に基づき説得力のある説明をしているのに対し、大塚会計士補が同部長に対し不正の疑念を持つべきであるという注意義務は生じようがなかった。

10 第一審原告の貸借対照表には借入金の勘定残高は存しないから、第一審被告明和監査法人において、監査実施準則11(1) に規定する借入先からの残高証明書の徴求、確認・照合等の手続を履践する義務はなかった。

以上によれば、本件監査の行われた時期(昭和五三年一月及び二月)、本件監査の性質・内容、被監査会社の種類・規模・財務体質(無借金体質)、監査対象となる財務諸表の範囲、監査の立証命題としての監査要点の内容等本件監査の特殊性及び本件監査前後の監査実施準則等改訂の経過を考慮すると、第一審被告明和監査法人が、本件監査における定期預金監査の監査要点を定期預金の期末残高の妥当性の検討とワンイヤー・ルールによる定期預金の流動資産・固定資産区分の妥当性であるとし、入担の有無の確認を監査要点としないで三井銀行の定期預金通帳の実査(閲覧)を行わなかったことは、監査手続上何ら違法の問題を生じない。

そして、本件に現れた全事情を総合すると、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、昭和五二、三年当時、一般に公正妥当と認められた監査基準に準拠し、職業的専門家としての正当な注意をもって監査手続を実施したということができ、三井銀行の定期預金通帳が第一審原告に存在しなかったこと等に関し、これを甲野経理部長の不正に結び付けて追及すべき疑念を持たなかったことにつき注意義務違反(過失)はないというべきである。

したがって、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、甲野経理部長の不正行為を発見できないまま無限定の適正意見を表明したことについて、本件監査契約上、債務不履行の責任を負わない。

以上、三ないし八についての認定・判断に反する甲第一三三号証・第一三八号証・第一四三号証・第一七八号証の各二、第一九六号証、証人内藤昇、同守永誠治の各証言、鑑定(鑑定人志賀康一)の結果は、前認定の本件監査の行われた時期(昭和五三年一月及び二月)、本件監査の性質・内容、被監査会社の種類・規模・財務体質(無借金体質)、監査対象となる財務諸表の範囲、監査要点の内容等本件監査の特殊性並びに前掲各証拠に照らすと、小規模会社である有限会社の任意監査につき、企業会計原則、監査基準、監査実施準則、監査報告準則、アメリカの会計慣行等に基づいて必要以上に厳格な監査手続を要求するものであり、また、本件監査においては、入担資産の有無は監査要点ではなく(第一審原告もこれを認めるに至った。)、定期預金の入担の有無について監査する必要はないというべきであるところ、右各証拠はその前提を異にするものであって、採用することができない。

したがって、その余の点について判断するまでもなく、第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する本件監査契約における債務不履行に基づく損害賠償請求は理由がない。

九  第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する請求

第一審原告の第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する各請求は、第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する本件監査契約における債務不履行に基づく損害賠償請求権が存在することを前提とするものであるから、右損害賠償請求権が存在しない以上、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

一〇  第一審被告東京海上に対する請求

第一審原告の第一審被告東京海上に対する請求は、第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する本件監査契約における債務不履行に基づく損害賠償請求権が存在することを前提とし、同被告に代位して保険金を請求するものであるところ、右損害賠償請求権は存在しないから、第一審原告の第一審被告東京海上に対する代位訴訟は、被保全権利が存在せず、代位の要件を欠き、したがって、当事者適格を欠くことが明らかである。よって、右訴えは不適法である。

一一  結論

したがって、第一審原告の本件各請求のうち、第一審被告東京海上を除くその余の第一審被告に対する請求はいずれも理由がなく、第一審被告東京海上に対する請求は不適法であるから、原判決中第一審被告明和監査法人に対する請求を一部認容した部分は不当であるが、同被告に対するその余の請求を棄却した部分、第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する請求を棄却した部分は相当であり、第一審被告東京海上に対する請求を棄却した部分は不当である。

よって、第一審被告明和監査法人の控訴に基づき原判決中同被告敗訴部分を取り消して、第一審原告の同被告に対する請求を棄却し、第一審原告の控訴に基づき原判決中第一審被告東京海上に関する部分を取り消し、同被告に係る訴えを却下することとし、第一審原告のその余の控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 河野信夫 裁判官 小野剛)

別紙 当事者の主張

(第一審被告ら、但し、東京海上火災保険株式会社を除く。以下同じ)

第一本件監査契約の当事者

一 本件監査契約の当事者は、第一審原告の親会社と第一審被告明和監査法人である。従って、第一審原告には、監査契約上の請求権はなく、本訴請求は、本来、その余の点について判断するまでもなく、直ちに棄却されるべきものである。

本件全証拠を検討しても、本件監査契約が、第一審原告と親会社の双方が依頼して締結されたもので、第一審原告も契約当事者となっていたということはできない。

欧米では、株主のために任意監査を受ける例が多く、その慣行が定着している国もあるということは、一般論にすぎず、本件事案の認定を左右するものではない。このことは、むしろ、欧米の本国からかかる趣旨において任意監査を委嘱したことの根拠というべきものである。

第一審原告側の「目的」とされた「定款に基づく監査」という事由は、全く事実関係の根拠に基づかない虚構の主張である。

契約締結時に、第一審原告の取締役と第一審被告明和監査法人の加藤(高山)との間で交渉がなされたということは、単なる交渉経過であって、親会社が遠いドイツにあることを考えれば、その事実から契約当事者が第一審原告ということにはならない。

更に、監査報酬を第一審原告が支出することが約束されたということは、これまた、親会社・子会社間の話し合いの結果にすぎず、親会社・子会社の内部問題である上、遠いドイツの親会社から外国からの送金として支払うより、日本の子会社から支払う方が手続その他において便宜であるということに基づくものである。

第一審原告の社員総会を定款の定める二月でなく第一審原告の監査報告書が提出されてから行っていたということは、事実に反し「虚偽」であり、かつ、定款に反した事実をもって「定款」に従った「監査」を根拠付けるという自己矛盾を犯している。

第一審被告明和監査法人が第一審原告の定款の内容を知っていたか否かは、「定款に基づく監査」が虚構であり、これに基づき監査契約が委嘱されていない以上、契約当事者を左右するものでない。

右のいずれの事由も、「第一審原告の親会社が契約当事者」という認定を覆すものではなく、まして、第一審原告を契約当事者とするものでは全くない。

二 「定款に基づく監査」という立論は虚構であり、これに全面的に依拠して「第一審原告を契約当事者」と認定することは誤りである。

1 本件監査は、第一審原告の「定款」に基づいて委嘱されたものではない。

第一審原告の定款七条には、社員総会には取締役が監査人の監査を経た財務諸表を提出すべきものとされ、定款八条には、監査人を選定するには、社員総会の承認を要する旨の規定があるが、これは「定款」に記載されているというだけのことにすぎない。本件の問題は、この「定款」が第一審原告自身において、守られていなかったということなのである。

けだし、第一審原告自身が「定款」の記載に相違した行動をとっており、本件監査が定款の内容と相違していれば、かかる「定款」の定めに従って本件監査が委嘱されたとはいえなくなるからである。

しかるところ、本件監査契約はことごとく第一審原告の定款の規定と合致せず、第一審原告の主張は、全く事実に反し誤っている。即ち、

(1)  第一審原告の取締役でなく親会社が本件監査を委嘱している。

(2)  本件監査の委嘱は、社員総会でなく親会社の取締役会の決議により行われている(乙第一、第二号証)。監査の委嘱は、第一審原告の定款八条によれば、第一審原告の社員総会で決議されなければならないのに、第一審原告の親会社の取締役会の決議に基づいて行われている。

(3)  監査報告書の提出期限が異なっている。

監査報告書の提出期限は、第一審原告の定款七条によれば、二月一五日以前になされるべきであるのに、本件監査契約では五月末までに提出すればよい旨合意された(乙第二号証)。

(4)  監査対象となる財務書類が異なっている。

本件監査契約の対象は、定款の定めと異なり、利益処分案、営業報告書が除外されている。

2 社員総会が毎年のごとく監査報告書の提出まで延期されたとの第一審原告の主張は虚構である。

本件の監査報告書は、二月下旬から四月上旬頃に提出され、第一審原告の定款の要求する二月一五日に提出されたことはなく、これに間に合わせるように要求されたことも皆無であった。かかる定款の規定と全く矛盾する動かし難い事実を突き付けられたため、第一審原告は、社員総会は監査報告書の提出後まで延期されたと主張するに至った。しかしながら、これは、虚構である。

3 定款違背の事実を、定款が遵守されて、「定款による監査」が行われていたことの根拠とすることは、自己矛盾であり誤っている。

仮に、万一、社員総会が定款の定めである二月に行われていなかったとしたら、それは、むしろ、第一審原告では、「定款」が守られていなかったことのなによりの証左である。

三 「欧米では株主のために任意監査を受ける会社の例が多く、かかる慣行が定着している」ということは、本件事案で第一審原告が契約主体となることの根拠とはならない。

かかる欧米での一般的な慣行が、具体的に乙第一、第二号証の委嘱状の存する本件においては事実認定を左右するものではない。

仮に右の「慣行」が存したとしても、それは、欧米にある第一審原告の親会社が自らに必要とする「監査」の関連で日本の子会社の「監査」を行ったということにすぎず、ドイツの親会社ではなく、日本の会社たる第一審原告が自ら契約をしたことの積極的な根拠とは全くなり得ない。

四 契約締結の交渉が、第一審原告の取締役と行われたことは、第一審原告との契約の根拠となり得ない。

前記のとおり、第一審原告の親会社は、ドイツという遠隔地にある。従って、日本の監査人と乙第一、第二号証という監査委嘱状により契約が締結される前に、地元日本に子会社があれば、その子会社の者が交渉に当ることは親会社の契約であっても、当然の事柄である。

従って、ドイツと日本で監査契約が締結されたという本件事案では、右の点は全く第一審原告との契約が成立したことの根拠となり得ない。

むしろ、本件では、監査契約締結に先立ってドイツの親会社から海外子会社担当取締役のバーテルが来日して、親会社自身が加藤(高山)と直接接渉をしている点が留意されねばならない。

五 第一審原告が、本件監査契約の報酬を負担させられたのは、親会社との支配・従属関係の結果に過ぎず、本件監査契約が親会社のための契約であることと矛盾しない。

1 第一審原告の親会社への従属関係

第一審原告は、親会社の強い統制・監督下にあって、すべて親会社の指示に基づき行動しており、第一審原告自身が単独で監査契約をするなどということは、全く考え難い状況であった。子会社たる第一審原告は、親会社の方針・命令に服従しており、かかる事情から、監査費用を支払わされたにすぎない。

2 ドイツからの送金をはぶく便宜

ドイツ本国へ請求させ、そしてドイツ本国から日本の監査人へ送金するよりは、日本国内に子会社があれば、子会社宛に請求させてその子会社から支払い、あとはドイツの親会社と日本の子会社間の内部問題として処理する方が簡便である。

右事実は、本件監査契約が第一審原告の親会社のために委嘱されたことと何等矛盾せず、本件監査契約が子会社たる第一審原告と締結されたことの根拠となるものではない。

3 監査費用を誰が支払うかということと契約当事者は別の問題である。

六 以上の事情は、第一審原告が契約当事者となることを積極的に根拠付ける事情ではなく、「親会社のみが契約当事者」であるという事実を覆すものではない。

従って、右の事情から「本監査契約は親会社のみがその必要から締結した」という事実を覆すことはできない。

七 親会社が子会社の監査を委嘱する場合は、子会社を監査対象として、親会社が任意監査契約を締結するのが通常である。本件もその一例である。

そのため第一審原告は、「第三者のための契約」である旨の主位的主張はもはや維持できず、「第一審原告との単年度毎の直接監査契約」との主張を主位的主張とし、従前の主張は予備的主張とする旨の主張の変更をした。

八 結論

以上、第一審原告の「定款」の定めを根拠として、第一審原告が本件監査契約の当事者であるとすることは、客観的事実に反し、虚構であり、これに依拠して第一審原告を契約当事者と認定することは誤りである。

本件監査契約は、乙第一、第二号証の監査委嘱状により第一審原告の親会社から委嘱された、親会社と第一審被告明和監査法人との契約なのである。

第二本件の争点

一 真の争点の整理

本件の真の争点を整理すると、次のとおりとなる。

1 監査報告書により適正意見を述べた監査人は、報告書提出の後に、監査対象の年度中になされた不正行為が発見されれば、そのことだけで損害賠償責任を負わねばならないか。

2 本件の監査において定期預金の通帳、証書を実査(閲覧)する監査手続を履践すべき注意義務があったか否か。

(1)  資本金二〇〇〇万円の有限会社の貸借対照表と損益計算書を監査対象とする財務諸表監査において、貸借対照表に入担資産の注記が省略されている場合に、定期預金の入担の有無が監査要点になるか否か。この監査要点を確かめるため、通帳・証書の実査(閲覧)をすべき義務を負っていたか。

(2)  監査要点の有無にかかわらず、当時の監査実施準則の記載に機械的に従って通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続を行うべき義務が存するか否か。

(3)  内部統制に不備がある場合には、定期預金の入担の有無という監査要点の存否にかかわらず、その不備部分に存するかも知れない不正を発見するため、

i 必ず定期預金通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続が義務付けられるか。

ii 右不正に配慮した監査手続がなされた場合にも、更に通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続が義務付けられるか。

(4)  定期預金の入担の有無という監査要点でなく、定期預金の期末残高=実在性という監査要点を検証するための監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)を行うべき注意義務が存したか。

3 残高証明書の直接入手義務があったか否か。

4 監査人は、監査実施に際して、三井銀行の定期預金通帳が会社に存在しなかったことに関連して、甲野経理部長の不正借入の担保に供された旨の疑念を持つべき注意義務が存したか否か。

二 争点の構成及び問題点

1 一、1の争点について

(1)  監査人が被用者の不正行為を看過したまま適正意見を表明したというだけでは、責任を負ういわれはない。

(2)  次に、昭和五二年当時、財務諸表監査において被用者の不正発見を目的とするかどうかについては、当時の我が国の監査の水準を越えて財務諸表監査において被用者の不正行為の発見に重きを置くという考え方は、誤りである。

(3)  その理由は、次のとおりである。

第一に、監査における注意義務の内容は、当時の我が国の監査の水準において判断されるべきであるが、昭和五二年当時、財務諸表監査における不正行為の発見のウエートは必ずしも重くなく、我が国の財務諸表監査の実務において役職者の不正行為などの発見が一定のウエートをもつものと一般に認識されたのは、昭和六二年以降である。

即ち、右同年、経営者・幹部職員による横領などの不正事件が相次いで発生し、日本公認会計士協会会長は、昭和六二年二月二八日付の「最近の会社役員などによる不正事件続発に対する監査の対応について」(甲第一三二号証)を発表し、右会長諮問に答えて、昭和六三年一〇月四日付監査第一委員会報告五〇号「相対的に危険性の高い財務諸表項目の監査手続の充実強化について」(乙第一四四号証)が発表され、これに連動して、監査手続を強化する「監査実施準則」の改訂が行われたのは、平成元年五月である。なお、乙第一四四号証では、「本報告は、昭和六四年一月一日以降開始する事業年度の監査から適用する」と改訂後の監査手続の実施開始の時期が明記されている。

第二に、一九七七年一月(昭和五二年一月)に発表されたアメリカ公認会計士協会の監査基準第一六号を根拠にして、重要な被用者の不正行為を発見すべく監査計画をなすべきものとするのは、誤りである。

この文書が我国に紹介されたのは、一九八一年三月(昭和五六年三月)であって、本件監査後である。

2 一、2(1) (2) の争点について

資本金二〇〇〇万円の有限会社は、貸借対照表に入担資産の注記を省略して作成することが認められている。即ち、昭和五二年当時の商法計算書類規則によれば、同規則の二四条の二による入担資産の注記は、同規則四七条により、資本金一億円以下の株式会社では省略が可能とされている。とすれば、第一審原告は、資本金二〇〇〇万円の有限会社であるから、この取締役が、入担資産の注記が記載されていない貸借対照表を作成したとしても、商法計算書類規則に準じたものとして貸借対照表の表示としては適正である。

また、本件監査は、附属明細書を監査対象とせず、貸借対照表・損益計算書のみを監査対象とする監査であり、監査人は、取締役作成にかかる資産の入担の有無の注記の記載がない貸借対照表について、この記載のない貸借対照表を適正な表示とした上で、入担の有無の注記のない貸借対照表・損益計算書を監査対象として、当該財務書類の適否を監査し、監査報告書により報告すれば足りる。

よって、我が国の企業会計法、会計学上、資本金二〇〇〇万円の有限会社たる第一審原告について、監査実施準則は全体として常に適用されるものではなく、貸借対照表、損益計算書のみを監査対象とする本件監査において、貸借対照表に入担資産の注記が記載されていなければ、資産たる定期預金の入担の有無は、当該貸借対照表の監査の立証課題としての監査要点とはならない。従って、定期預金の入担の有無を確かめる監査手続たる定期預金の通帳・証書の閲覧(実査)は、監査人に義務付けられていない。

3 一、2(3) (4) の争点について

内部統制が不備であるというだけでは、被用者の不正行為の発見を直接の目的とする監査をすべきであるとまではいえない。

本件監査において、入担の有無という監査要点が存せず、かつ、内部統制が不備であるだけでは不正発見を目的とした監査手続をすべきとまではいえないのであれば、第一審被告明和監査法人は、通常なすべき監査として、通帳・証書の実査の手続を義務付けられることはないはずである。

4 定期預金の通帳・証書の実査義務について

(1)  任意監査であることから、法定監査を越えて、監査が強化されるべきであって、入担の有無が監査要点となるとする考え方は、誤っている。

即ち、監査契約において不正発見が特約されていないかぎり、任意監査であろうが法定監査であろうが、財務諸表監査の監査要点の設定並びに監査手続の選択・適用の方法論は基本的には同じなのである。

どのような監査がなされるべきかは、監査契約において監査の対象とされる財務諸表がどのようなものか、かかる財務諸表について、被監査会社の種類・規模に応じた法令上、当該会社が作成・表示すべき財務諸表がどのようなものかを念頭において、監査のため提示された財務諸表を吟味し、この財務諸表について監査をなすためにはどのような点を立証命題=監査要点とすべきかをまず決定し、そして、この監査要点を確かめるために適格な監査手続が実施されるのである。従って、監督対象となる会社の種類や規模が同一であれば、監査契約において特別な特約がなされていないかぎり、任意監査であることを理由として、法定監査以上の監査要点が追加されることはない。

このことは、法定監査において対象会社の内部統制に不備があった場合、任意監査ではないから手をゆるめることができるという立論があり得ないことからも明らかである。

(2)  一方で内部統制不備の場合にも、不正発見を直接の目的とする監査手続をなす義務はないとしながら、他方で通常実施すべき監査手続を慎重に厳格に行うべきであるということから、通常の監査要点及びこれを確かめるための監査手続の他に、不正発見を直接の目的とする監査要点や監査手続が付加されると考えるのは、誤りである。

(3)  利用可能性が実在性という監査要点に含まれ、入担の有無とは別に定期預金監査の監査要点になるとの見解は、誤っている。

〈1〉 「現金・預金の監査の目的は、企業の所有する現金・預金が、帳簿や貸借対照表に記載されているとおりに実在し、しかも実際に利用可能であるかどうかを確かめることにある」として、定期預金について、当時、銀行による譲渡禁止の特約が存したことにより正式に法律上譲渡は不可能であるとしても、「通帳・証書交付及び受領代理権の授与等が行われる場合もありうる」ことから、「監査実施準則が、預金の監査手続を定めるのは、単に定期預金の入担の有無のみを確認するだけでなく、実質的な観点から定期預金の実在性の有無について検討し確認することをも目的としているものと考えられる。」とした上、入担の有無とは別に、通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続をなすべきものとして、実在性の内容の一つとして、通帳・証書の存在による利用可能性が監査要点となり、これを確かめるための通帳・証書の実査(閲覧)をすべきであると考えるのは、明らかに誤っている。

この考え方は、何等かの監査要点を立証命題として通帳・証書の実査(閲覧)という監査手続がなされるべきものと認識し、監査要点として利用可能性を持ち出したものと言わざるを得ない。

従って、利用可能性が実在性に含まれるというテーマが我が国の会計学・監査論上否定されれば、右の考え方はその存立基盤を失う。

〈2〉 我が国の会計学・監査論上、入担されているか否かが定期預金の利用可能性と考えられていた。

このことは、前記のとおり、平成元年五月に至り役職者の不正行為に配慮するため監査手続を強化する目的で監査実施準則を改訂した際に、期末の財務諸表項目の監査手続中、現金・預金の監査手続の項が、「預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書若しくは通帳を閲覧し、または預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。」から、「預金については、預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。」に変わり、預金の監査手続としては、銀行への確認のみとなり通帳・証書の実査(閲覧)が落されたことから明らかなのである。

この点は、「解説・改訂監査実施準則」(乙第一四五号証)の

「1 現金預金

(2)  預金については、預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。

前準則は、『(2)  預金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書若しくは通帳を閲覧し、又は預金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。』と定めていた。つまり、預金の実在性を確かめるため、次のいずれかの手段を選択適用することを定めていた。

イ 会社が預金先から入手した残高証明書の提出を求め、それを用いて関係帳簿残高と照合し、あわせて預金証書若しくは通帳を閲覧する。

ロ 監査人が、直接、預金先に対して確認を行い、その回答書と関係帳簿残高と照合する。

これに対して、新準則は、預金の実在性を確かめるため、監査人が、直接、預金先に対して確認を行うことを定めている。ここでは確認は実施可能にして合理的である限り省略できない手続であり、実施不能であるか又は実施することが合理的でない場合を除き、残高証明書の閲覧でそれに代えることはできない。なお、監査人が預金先に対して確認を行う場合、借入金の担保となっている預金の種類・金額についても回答を要求すれば、預金証書又は通帳の閲覧は不必要となるので新準則は削除した。」との記載からも明白である。

即ち、強化された平成元年版・監査実施準則において預金の監査手続中の通帳・証書の実査が削除され銀行への確認のみとされたことは、我が国の財務諸表監査では

(ア) 実在性に関しては、債務者たる銀行からの残高の回答と照合するのみで足り通帳・証書の存在により利用可能であるかという点は含まれないこと、

(イ) 通帳・証書の確認は、借入金の担保に関連してチェックするものにすぎないこと

を示しているのである。

〈3〉 また、我が国の企業会計法に関する法令もしくは企業会計原則において、財務諸表に表示すべき定期預金の利用可能性に関する財務情報としては、

(ア) 企業会計原則第三貸借対照表原則の項の第一項cには、「入担資産の注記」

(イ) 商法計算書類規則二四条の二の「入担資産の注記」(小株式会社には注記免除)、同四五条一項五号の付属明細書の「入担資産の明細の表示」(本件では付属明細書は監査対象ではない)

に尽きているのである。

従って、我が国では、いかなる会社においても、我が国における企業会計法令に従った財務諸表としては、担保差入の有無以外に、実在性の内容として通帳・証書の存在による利用可能性が別個に含まれることはない。

(4)  検証を要する監査要点を明示せずに、漫然と「特に負担とはならない定期預金の実査(精査)をする程度の事は、職業的監査人としては当然になすべきもの」として監査人の義務の不履行を認めるのは、監査人の義務範囲を極めて無制限的に認めるものであり、誤りである。

〈1〉 本件監査当時、従業員の使い込みなどの不正の発見は、財務諸表監査の主目的となっていたわけではない。仮に不正発見が副次的な目的となっており、不正発見について監査人が責任を負うとしても、その範囲は、不正が存しないことを証明するというものではなく、本来なすべき監査手続をなすに際して(即ち、当該監査において必要な監査要点について適格な監査証拠を入手する監査手続を行うに際して)、重大な不正行為を発見できるならばこれを見逃さないようにというものにすぎない。

即ち、仮に、通常なすべき監査の手続を、慎重、かつ、厳格に実施するということであったとしても、不正発見目的が特約されておらず、財務諸表監査における通常なすべき監査の手続がなされれば足るというかぎりで、決して「不正を発見すること=不正の存否を確かめる」という「立証命題=監査要点」が付加して監査されなければならぬということではない。

内部統制が不備であったとしても被用者の不正行為の発見を直接の目的とする監査をすべきであるとはいえないのもこの理を示している。

〈2〉 よって、右の考え方によっても、本件監査において、通帳・証書の実査が義務となるのは、次の場合以外あり得ない。

即ち、まず特定の監査要点が存することが認定され、これを検証するために通常なすべき監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)の監査手続がなされるべきであったことが認定されて、初めて通帳・証書の実査を監査人の怠ることの許されない義務としうるのである。

しかるところ、実在性の内容として利用可能性を監査要点とするのは、前記のとおり誤りである。また、入担の有無が本件監査において監査要点とならないことも、前記のとおりである。

従って、如何なる監査要点を検証するための監査手続かを具体的に定めることなく、漫然と「特に負担とはならない定期預金の実査(精査)をする程度の事は、職業的監査人としては当然になすべきもの」として、監査人の義務の不履行の成立範囲を極めて無制限に認めるのは、正しくない。

〈3〉 不正発見目的が特約されていない監査契約において、監査要点から演繹的に監査人の尽すべき具体的注意義務を認定するという厳密な注意義務の認定方法をとらないで、被用者の不正について、監査人の結果責任を認めるのは、誤りである。

5 預金残高証明書の直接入手義務について

(1)  預金残高証明書の直接入手義務を肯定し、直接入手していれば、本件の不正借入が発見可能であったとするのは、全く誤りである。

本件事案においては、不正行為の隠薛工作として、期末の預金残高が正規の残高に帳尻合せが行われ、それゆえ会社に用意されていた預金残高証明書は全く偽造されておらず、正規のものであった。従って、これを直接入手しようと間接的に入手しようと、本件の不正発見にはいささかの関係も無かったのである。

(2)  また、本件においては、残高証明書の直接入手義務が明示されている場合にそれに反した慣行の存在を第一審被告ら側が主張し、それにより免責されるか否かが問題とされるのではない。まず、預金残高証明書の直接入手義務及び直接入手により不正を発見し得たことが主張・立証されねばならない。しかしながら、次のとおり、かかる直接入手義務は認められない。

第一に、残高証明書について、会社側が期末日現在のものを入手しこれを監査人が利用する慣行を認めながら、直接入手が義務付けられるとするのは、全く誤りである。

そもそも、監査人が監査証拠を必ず直接に入手すべきものについては、例えば監査実施準則などでは、はっきりとその旨が明示されているのである。即ち、本件当時の監査実施準則の預金の項において、預金残高証明書については「預金先からの残高証明書を求め」とされ、これに対して確認については「預金先に対して確認を行い」として監査人が自らの行為として、直接確認しなければならぬものとされている。即ち、預金残高証明書については、直接入手すべきものと必ずしもされておらず、単に証拠として求めれば足りることになっているのである。かかる状況を前提として、会社が期末日現在の預金残高証明書をあらかじめ入手しておけばこれを監査でも利用する慣行が成立していたのである。

6 違法性の阻却という争点構成について

(1)  通帳・証書の実査義務を認めた上で、その義務不履行の違法性の阻却を論じるのは、正しくない。本件監査においては、通帳・証書の実査により確かめるべき監査要点は存せず、通帳・証書の実査義務は、監査理論上、そもそも認められない。

従って、本件においては、「本件の諸事情のもとでは、定期預金通帳が会社に存しなかったことに監査人が疑念を持たなかったことが注意義務違反を構成するか」を争点とすべきである。

(2)  しかるところ、本件事案では、監査人が、経理部長の説明その他諸事情から、「預金通帳が満期のため書き換えにいっているものとして会社になかったことに疑念を持たなかったこと」について注意義務違反が存するとすることは、監査人に不可能をしいることである。

(3)  即ち、本件事案においては、左記のごとき事実が存したのである。

〈1〉 本件監査は、不正発見目的の特約はなく、かつ、財務諸表監査は、不正発見を目的とするものではない。実際にも、本件の監査報酬は、一三〇万円と決して不正発見のための監査を期待しているような金額の報酬ではなかった。

〈2〉 通帳の不存在自体の説明として、監査人に対し、会社側の監査の窓口責任者である経理部長から、「満期のため通帳は銀行に書き換えにいっている」旨の通帳が会社に無かった理由について極めて合理的かつ日常的な説明がなされた。

かかる説明をなした経理部長は、経営者に直属して信任され長年にわたる経理責任者であって、本件監査の窓口責任者であった。

しかも、元帳上、監査の直前に満期日の到来する定期預金が三井銀行に存する事実が明らかであった。

以上、経理部長の説明は、客観的事実に裏付けられた高度に納得性のある理由であり、通帳の不存在について疑念が生じ得ない説明であった。

〈3〉 加えて、第一審原告は、無借金体質で、毎期期末に借入金残高がなく、当期も借入金残高がなかった。即ち、監査人が、通帳の不存在を担保差入れ・不正に結び付けるとすれば、客観的裏付けのある合理的な理由を述べている経理部長に対して不正の疑念を持てということで、これはもはや監査人に不可能をしいることに他ならない。

〈4〉 他方、本件では、経理部長の周辺の内部統制不備部分について、監査人は、「期末の預金残高をすべて確かめる」、「当座勘定照合表に異常な動きがないか通覧する」という極めて慎重な監査計画を立て、監査を実施した。しかるところ、経理部長により強力な偽装工作がなされ不正が隠蔽されていたため、なんの異常もなかった。

その結果、本件監査では、監査人の認識としては、経理部長周辺について慎重な配慮をなした監査を実施したにも拘らず不正行為が全く認識されない状況が顕出したことになり、その為、客観的根拠のある合理的な説明をしている監査窓口責任者たる経理部長について、更に、不正の疑念を持てという注意義務が生ずるような状況は決してなかった。

〈5〉 本件では、経理部長から、満期日のわかる資料として、通帳の代わりに三井銀行発行の定期預金の預り明細書が提出され、しかも、それに定期預金について異常や入担を示す記載が無く、その満期の記載からワンイヤー・ルールのチェックはなされ、かつ直前に満期の来る定期預金の存することが確かめられ、定期預金監査の監査手続は不都合なく終了したのである。

以上、本件の全事情を総合すれば、監査人に通帳の不存在に疑念を持つべき注意義務違反が認められないことは何人にも明らかであろう。

第三過失相殺

一 第一審原告は、商法特例法一一条の大株式会社における会計監査人の取締役との連帯責任の条項を根拠に、有限会社の任意監査である本件監査において、取締役の過失は会社側の過失とできず過失相殺が認められないと主張するが、誤っている。

即ち、商法特例法は、大株式会社において、一般の株式会社における会社の機関たる監査役の会計監査に関する役割を、会社の機関としての会計監査人に分担させる商法の特別規定である。そして、商法特例法上の会社の機関として会計監査人が置かれることを前提に、右一一条の規定が設けられた。同規定を会社の機関としての立場を全く持っておらず、単に有限会社と任意監査契約を締結するだけの任意監査人に適用するということは誤っている。

そして、会計監査人の行う商法監査では、会計監査人の機関性が前面に出るのであって右商法特例法一一条が妥当するが、一般の任意監査では会社側の過失との過失相殺が広く認められて、公認会計士は依頼人会社に対して責任を負うことはほとんどないとすら言われているのである。

特に、被用者の不正行為の防止については、監査人ではなく、日々企業のトップとして従業員を監視・監督する権限を持っている経営者こそが、忠実義務上の損害防止義務を負うべきなのである。

二 第一審原告の「取締役に過失がないか又は過失は極めて軽微である」との主張は、事実に基づかない全くの虚構である。

1 本件における取締役の過失のポイントは、

(ア) 商学部卒の経理担当の取締役が直属の経理部長を監督する立場にあり、かつ、手形帳・代表者印・銀行印の重要性を認識していながら、経理部長に事前・事後を問わず全くノーチェックで自由にこれらを使用させていたこと

(イ) 経理部長は、監査報告書が提出された昭和五三年二月二〇日の直後たる同年三月には、当座勘定照合表の偽造を中止し、かつ、一切の偽造、偽装工作を中止したこと、その結果、経理部長が偽造を中止した昭和五三年三月以降、遅くとも昭和五三年四月には、取締役が、会社の元帳等の会計帳簿等や、マンスリー・レポート、当座勘定照合表を一覧する等の最低限の監督をしていれば、不正行為の発見は可能であったこと

の二点に集約できる。

従って、第一審原告の、取締役の過失は、(1) 取締役が銀行印や手形・小切手帳を従業員に保管させ、手形・小切手の発行を同人に任せていたこと、(2) 取締役が当座勘定照合表やマンスリーレポートを見るなどの通常の監督をしていれば不正行為を発見することが可能であったことの二点である。

という主張は、全くのすりかえに他ならない。

2 即ち、右(1) については、(ア)と全く異なっている。

仮に、第一審原告のごとき中小企業で、手形の発行等の業務を取締役が経理部長に任せていたとしても、取締役は、事前、事後において必ず、手の空いた時間に当座勘定照合表を見たり経理部長に元帳等の帳簿を持って来させて説明を受けたりする等、何等かの形で監督しなければならず、またかかるチェックは会社の最高権力者たる取締役には極めて容易に可能であり、また実際にもよく行われている。

3 また、すべての支払や資金移動を必ず一度当座口座を通して行うことにしていた第一審原告において、その取締役が当座勘定照合表を読むことができなかった旨の主張は、正しく同取締役が当座勘定照合表を一覧もしておらず全くチェックを怠っていたことの自白に他ならない。とすれば、第一審原告の取締役は、会社のすべての資金移動についての管理・監督の任務を完全に放棄をしていたことに他ならない。第一審被告らは、第一審原告のドイツ人の取締役が当座勘定照合表を読むことができなかったとの主張を、過失相殺を構成する取締役の重大な過失についての自白として援用する。

三 甲野経理部長の故意行為による監査妨害を過失相殺事由から排除するのは、正しくない。

1 従業員の不正行為を防止し会社の損害を回避することについて、監査契約の目的に含まれているとすることは、自己矛盾を犯すものである。

財務諸表監査は、監査対象となった財務諸表について、その作成にかかる経営者の会計政策的判断、選択適用されている会計基準が、一般の会計の原則に照して準拠性があり、かつ、継続性があるか否か、また、財務諸表が当該会社に対する企業会計法令上の規定に従って表示すべき事項を表示しているか否かについて、会計学の専門家として意見を表明することにある。

従業員の使い込み等の不正は、あくまで、右のごとき本質を有する財務諸表監査を実施する過程で、通常実施さるべき監査手続を行うに際して、合理的注意を払って発見しうるものを発見すればよいという副次的目的にとどまるにすぎない。

即ち、不正発見目的の特約がなされないかぎり、財務諸表監査においては、決して、従業員の不正行為の発見自体が義務付けられることはなく、ましてや、不正行為の摘発や防止までが直接の契約目的や債務とされることはないのである。

従って、甲野経理部長の故意行為を過失相殺事由から排除する理由は全く存しない。

2 甲野経理部長は、末端の一従業員ではなく、会社側の監査の窓口責任者であり、かつ、経理部長であって、本件監査について会社側の人間として行動し、かつ決定的役割を果していた。

(一) 甲野経理部長は、第一審原告側の監査窓口責任者たる経理部長であり、会社側において信任を表明した幹部職員であり、監査に協力すべき立場にあった。

財務諸表監査、特に任意監査は、被監査会社側の監査への協力がなければ行えず、これを前提としており、会社側の監査の窓口責任者の監査への協力が不可欠なのである。そして、右のごとき監査の窓口責任者の協力は、被監査会社の監査人に対する義務であって、これを履行する監査の窓口責任者の行為は、会社の業務執行に他ならない。

(二) このように、本件監査において、甲野経理部長は、第一審原告側において監査への協力の義務を履行すべき監査窓口責任者の立場に立つ者であった。しかるに、同経理部長は、これを奇貨として、監査に協力するどころではなく、自己の不正行為を隠蔽するため左記のごとき監査妨害行為を行った。

(ア) 銀行発行の当座勘定照合表の用紙を印刷会社に印刷させて入手し、正規の当座取引のみを記入した当座勘定照合表の本紙を精巧に偽造し、これを監査資料として提供した。

(イ) 住友銀行の定期預金については、銀行に対し通帳を紛失したこととして解約・預入れの経過を記載させないという隠蔽工作を予めしておき、監査人に提示された通帳は、解約の記載されていない通帳であった。

(ウ) 三井銀行の通帳に関しては、甲野経理部長が、監査の窓口責任者たる地位にあったため、三井銀行の定期預金には監査当日(監査開始日)の直前の営業日に満期日の来るものがたまたまあったことを奇貨として、「満期のため通帳を書換えに出した」と監査人に虚偽の説明を行った。

即ち、本件においては、第一審原告側の監査の窓口責任者として、監査における被監査会社の協力義務を履行すべき者が、その地位を奇貨として、監査妨害行為として不正行為の隠蔽工作を行ったのである。これは、監査契約に関する第一審原告の監査に協力する業務執行者により監査妨害が行われたものであり、かかる第一審原告側の監査窓口責任者の監査妨害行為は、第一審原告側の故意行為として重大な過失相殺事由となる。

四 過失相殺割合

1 過失相殺割合認定の基礎

(一) 監査人の違法性を減殺する事由

(ア) 甲野経理部長は、会社側の監査の窓口責任者であって、本来、監査人の監査に協力すべき立場に立つ者でありながら、偽装工作により「監査を妨害」したこと

(イ) 本件監査人は、甲野経理部長の周辺の内部統制不備部分に対して、期中の動きについては当座勘定照合表を通覧して異常のないことを確め、期末の残高についてはすべての銀行預金口座について銀行発行の残高証明書で確めるという合理的な配慮をなし、監査人としての尽すべき注意を尽していたこと

右の各事実は、過失相殺においては重要な要素である。

(二) 経営者の大きな過失を構成する事実

(ア) 第一審原告の「取締役が頭の中に記憶している数字とほぼ一致していたら、(マンスリー・レポートを)何ら疑問なくドイツの親会社に送付していた」との主張は、第一審原告の経営者がマンスリー・レポートと帳簿とを全くチェックしていなかったことの自白に他ならない。

(イ) 第一審原告の取締役が当座勘定照合表を読むことはできなかった旨の主張は、正しく第一審原告の取締役が当座勘定照合表を一覧もしておらず全くチェックを怠っていたことの自白に他ならない。

これらは、過失相殺の重大な事由に他ならない。

(三) 損害の未然防止に関する事由における欠如

甲野経理部長は、監査報告書が提出された昭和五三年二月二〇日の直後たる同年三月には、当座勘定照合表の偽造は中止し、かつ、一切の偽造、偽装工作を中止した。

従って、第一審原告の請求する損害は、経営者か監督を完全に放棄した状況でなく何等かの注意を多少なりとも払っていれば、完全に未然に防止し得たと言わねばならない。

2 甲野経理部長の重大な不正・不正行為隠蔽の故意行為による過失相殺を認めないのは、誤りである。

甲野経理部長は、本件監査の窓口責任者であり、かつ、経理部長という第一審原告の幹部社員であって、会社と密接な関係に立つ者である。かかる者の不正行為はそれ自体過失相殺事由であるし、少なくとも、かかる会社側の監査窓口責任者たる者が第一審原告の監査協力義務を履行する立場を奇貨として行った不正隠蔽・監査妨害行為は、本件監査契約に関する第一審原告側の故意行為として重大かつ決定的な過失相殺事由であり、大過失相殺がされねばならない。

3 監査人の行為の因果関係上の寄与は極めて低い。

本件の損害自体は、監査人の行為と直接・間接関連性を有さず、本件の監査人の監査報告と損害発生との因果関係は、不正発覚に至るいくつかの併存的要因のうちの一つにすぎない監査をきっかけに、不正が発見されていたら、その後延々と続けられた不正は未然に防止し得たというものにすぎない。

しかしながら、監査人の監査意見は不正の存しないことの保証ではないのであって、適正意見が出たら、経営者等は通常なすべき監視監督をなさなくてもよいというものでは全くない。

従って、もともと、本件不正について監査人が万一責任を負うとしても、当然にその寄与率は相当低い寄与率というべきである。

まして、本件では、経営者の完全な監督放棄という重大過失があり、他方、監査直後から不正隠蔽工作が放棄されていたとの事情があり、請求されている損害の大部分が未然に防止し得た事案なのである。

4 結論

以上を総合すれば、過失相殺割合は、八割を更に大きく越えねばならず、仮に監査人に責任が認められるとしても更に決定的な大過失相殺が行われねばならず、第一審被告明和監査法人の負担すべき割合は、僅少あるいは皆無に等しいといえるのである。

第四損害

一 損害額についての第一審被告らの主張は、すべて予備的なものである。

二 四一一万二八八三円の送金

第一審原告が、高谷商事に対する昭和五三年八月三一日の相殺により、高谷への金四一一万二八八三円の買掛金の支払を免れた事実は、明らかである。

しかるところ、相殺に供された第一審原告側の債権が、昭和五三年二月二〇日以前の損害賠償請求権か、それ以後のものか、判然としないとして、第一審被告らの相殺の主張を採用しないのは、誤りである。

右のごとき昭和五三年二月二〇日以前と以後とを区別することは、第一審被告明和監査法人と第一審原告間の本件損害賠償に関しては意味あるが、第一審原告と高谷との損害賠償債権では区別する意味は全く存しない。

より正確に言えば、あくまで甲野経理部長と高谷グループとの間での相殺処理であって、第一審原告の意思表示による正式な相殺ではない。

従って、その実質は、第一審原告がその当座口座から高谷グループへ支払うべき四一一万二八八三円を送金し、そして、高谷グループが相当金額を弁償として第一審原告の当座口座へ送金するという処理に他ならない。右相殺処理は、端的に、昭和五三年八月三一日に高谷グループから弁償のため第一審原告に対し相殺処理相当金額の弁償があったものと同視すべきなのである。

しかるところ、昭和五三年二月二一日以後に生じた、高谷グループからの第一審原告への送金・弁償等の損害減少については、当然ながら昭和五三年二月二一日以後の損害から差し引かれているのであるから、右四一一万二八八三円も損害額から差し引かれるべきである。

三 四七万九九二八円の弁償

高谷鉄工は、第一審原告に対して、昭和五四年四月二五日に金四七万九九二八円の弁償をした。

昭和五四年当時は、高谷グループと第一審原告との正規の取引はない。従って、小切手による集金だったとしても、高谷グループからの回収であることは明らかである。しかるところ、弁護士報酬金額、金利分についての金額、その支払に関する、証拠はない。また、高谷グループから、この点についての支払だけ特に特定して支払うということは、特段の事情が示されぬかぎり合理的ではない。従って、損害額から差し引かれるべきである。

四 五万一九六五円の正規の支払

昭和五三年七月三一日の五万一九六五円の支払は正規の支払である。

第一に、これが正規の支出であることは、第一審原告準備書面(第七回)別表四-一、甲野経理部長の陳述書(甲第一三号証)の別表三四-四のいずれにおいても不正として扱われていないことから明らかであるし、かつ金額的にみて正規の支払であることがうかがわれる。

第二に、いずれにせよ、不正支出であることの立証責任は、本来第一審原告側に有するのであり、正規の支出でないとするのは、誤っている。

五 結論

以上の、四一一万二八八三円、及び、四七万九九二八円は、高谷グループからの弁償として損害から差し引かれるべきであるし、かつ、五万一九六五円は、正規の支出であって損害を構成しないのである。

(第一審原告)

第一本件監査契約等全般について

一 第一審原告の状況について

1 第一審被告らは、第一審原告が借入金を必要としない会社であるとして、第一審被告明和監査法人において担保及び借入金について監査手続を行う必要がなかったと主張する。

しかしながら、借入金を必要としない強固な財務体質の会社ほど経理部長による換金性資産の流用等の危険性が高いものである。よって、本件監査にあたっては、第一審被告明和監査法人は通常の会社に比較してより厳格に預金の監査手続を実施する必要があった。

2 第一審被告らは、第一審原告の帳簿がドイツ式の改ざんされにくい帳簿であったと主張するが、改ざんされにくいというのは、作成した仕訳取引が改ざんされにくいというだけのことであり、記帳される取引の脱漏のないことを意味するものではない。

二 監査契約について

1 本件監査の依頼目的は、不正発見を特に重視するというものではないが、財務諸表監査の当然の依頼目的として「財務諸表に重要な影響を与えるような不正についてはその有無を通常の監査手続の中で検証することを含む」ものである。

なお、財務諸表監査の副次目的といわれる不正とは、本件の如く財務諸表に重要な影響を与えるような不正ではなく、従業員の日常的な軽微な金額の不正のことである。

2 本件監査の依頼目的は、親会社の連結財務諸表作成のためのみではなく、第一審原告の株主及び経営者並びに第一審原告自身のためでもある。

3 監査対象となる財務諸表が貸借対照表及び損益計算書のみであるとの第一審被告らの立論は、監査の実務面よりみて誤解を招くものである。貸借対照表、損益計算書の適正性を検証するためには、これを支えるすべての会計帳簿並びに証憑書類が監査の対象となるものである。従って、監査人は、本件勘定明細を含む全ての会計帳簿並びに証憑書類に対し監査手続を行なうものである。

4 第一審被告らは、本件貸借対照表に担保差入の注記がないことをもって定期預金通帳の実査をしなくてもよいと主張するが、誤りである。担保差入の注記の有無と定期預金の期末の実在性とは全く別個の問題であり、定期預金の実在性(利用可能性を含む)を検証するためには定期預金通帳の実査は必要欠くべからざる監査手続である。

三 甲野経理部長の不正隠蔽工作について

1 当座勘定照合表の偽造及び定期預金通帳の紛失の偽装は、高度な不正行為の隠蔽工作とはいえない。当座預金照合表の偽造、定期預金通帳紛失の偽装は過去の幾多の不正事件において行なわれた方法の一つである。

2 甲野経理部長が監査人に対し行なった三井銀行日比谷支店の定期預金通帳が満期書換えのため銀行に預けてあるとの説明は、一応その時点ではそれなりの理由があった。しかしながら、定期預金通帳の満期書換えは、一両日中に銀行より会社に定期預金通帳が返還されるものである。従って、通常監査人は甲野経理部長に対し、翌日又は翌々日に定期預金通帳を監査人に提示するように指示するものである。

第一審原告の内部牽制制度は不備があったものであるから、監査人である第一審被告明和監査法人は、翌日又は翌々日に甲野経理部長より定期預金通帳の提示がない場合には同経理部長の不正行為を疑うべきものである。

また、第一審被告らの主張によれば、監査人は定期預金の明細書の提示があったので、右定期預金の明細表により第一審原告の貸借対照表に計上された定期預金に対する監査手続を行なったとしている。しかしながら、定期預金の明細表による監査手続は定期預金の不正担保差入による不正銀行借入れに対しては全く無力である。

3 第一審被告らは、甲野経理部長は昭和五三年三月から銀行当座勘定照合表の偽造を行わなくなったので、第一審原告の経営者は適切に銀行当座勘定照合表と会計帳簿等をチェックしていれば不正を発見できたはずであると主張する。しかしながら、第一審原告は、小規模な会社であり、取締役は二名しかおらず、しかも二名の取締役にて会社の総務、経理、営業、技術等の全ての業務を行なっていたものである。右のような第一審原告の経営の業務実態においては、第一審原告の取締役が銀行当座勘定照合表の記載と会計帳簿等の記載とを一つ一つチェックするなどということは不可能である。

四 監査手続について

1 第一審被告らは、本件定期預金の監査にあたっては当座勘定照合表を検証し十分な監査手続を行なったと主張する。

しかしながら、第一審原告においては内部牽制制度に不備があったから、本件定期預金の監査に際し監査人は、定期預金の期末残高をより直接的な監査手続、即ち実査、確認、立会い等の方法により直接に定期預金の期末残高を検証するという実証的監査手続に重点をおくべきであった。

第一審被告明和監査法人の行なった銀行当座勘定照合表の検証という監査手続は、右直接的、実証的な監査手続ではない。

2 第一審被告らは、ワンイヤー・ルールのために定期預金通帳を実査したと主張するが全くの詭弁である。ワンイヤー・ルールの適用の是非を検証するために定期預金通帳の実査を行なうなどということは我が国の実務上の慣行にもないし、また文献にもない。第一審被告明和監査法人は、第一審原告の財務諸表の監査において、毎年定期預金通帳の実査を行なっていたものである。本件監査においても、事実、第一審被告明和監査法人は、三井銀行日比谷支店以外の銀行の定期預金通帳の実査を行なっている。

3 第一審被告らは、本件定期預金の監査にあたり、監査手続として正規の銀行預金残高証明書を検証したと主張する。しかしながら、銀行預金残高証明書の検閲は、甲野経理部長の定期預金に関する不正行為の有無の検証には何ら役立たないものである。

五 本件の争点について

本件の争点が第一審被告らの主張するとおりであることは認める。

第一の争点である資本金二、〇〇〇万円の有限会社の貸借対照表と損益計算書を監査対象とする財務諸表において、貸借対照表に入担資産の注記が記載されていない場合に、当該貸借対照表上に定期預金の入担の有無を注記すべき法令上の義務があるか否か、また、その点が監査要点となるか否かについて、第一審原告は、原審において、第一審原告の貸借対照表に入担の有無を注記すべき法令上の義務があると主張した。

また、第一審原告は、原審において、たとえ法令上において貸借対照表の注記として担保提供資産の注記が法令上は省略可能であるとしても、そのことが直ちに監査人が第一審原告の資産についての担保差し入れの有無の調査を行なう義務はないと即断することはできず、法令上注記の省略が認められている場合にも監査人はかかる調査を行なう義務があると主張した。

更に、第一審原告は、監査の結果、重要な資産の担保提供の事実が認められる場合には、適正表示の観点から監査人は第一審原告に対し開示を促すべき義務があり、第一審原告がこれに応じない場合には監査報告書の補足事項として記述する必要があると主張した。

特に本件のように有限会社法に基づく監査ではなく第一審原告と第一審被告明和監査法人との契約による任意監査契約による監査の場合は、入担資産の調査及び開示についての意見を表明する義務があると主張した。

しかし、第一審原告は、原審における右主張をいずれも撤回する。

第二定期預金の実在性と利用可能性について

一 第一審被告らは、定期預金の監査要点について単なる期末残高の実在のみをあげ、定期預金の資産としての基本的な性格である利用可能性(払戻による資金としての利用)は監査要点ではないと主張するが、誤りである。会計上資産として認識されるためにはサービス・ポテンシャルズ(用役可能性)がなければならない。従って、定期預金の場合には利用可能性すなわち払戻可能性がなければ、会計上資産として認識されないものである。

よって、第一審被告明和監査法人は、本件定期預金の監査にあたっては定期預金の利用可能性についても監査要点として監査手続を実施する必要があった。

二 定期預金の実在性とは、定期預金について会社が法的にも経済的にも定期預金の本来の用法に従った利用及び処分ができる状態にあることを含む概念であり、定期預金の保有の目的は、余裕資金の運用と将来の事業資金の支出に備えることと、時には取引銀行との円満な関係を維持するため等である。

三 本件の三井銀行日比谷支店における定期預金のように全額が従業員の不正簿外の借入金の担保として質権の設定がなされ、会社が定期預金として利用することが法的にも経済的にもできない場合には、たとえ形式的に定期預金が三井銀行日比谷支店に記録上あるものとしても、法的にも経済的にも実在しないことと変わりがない。

四 財務諸表監査においては、単に監査対象の資産が形式的に期末に存在していることをもって監査人が満足するのではなく、当該資産が経済的に意味のある形で又は資産としての有用性をもって会社に帰属し且つ会社によって管理されていることまでを検証するものである。

これは預金に限らず、売掛金債権の回収可能性又は不良債権の検討、遊休固定資産の処分価額による貯蔵品等への組替、繰延試験研究費あるいは開発費の資産性の検証等においても行なわれているものである。

五 監査手続における定期預金の実在性、即ち定期預金の期末残高の当否の検証には左記の点が含まれる。

1 定期預金が会社名義により銀行になされており、期末日現在において帳簿記録のとおりの定期預金残高が銀行によって裏付けられる。

2 定期預金が法的に会社に帰属し、会社は権利者として自由に利用処分できる。権利に何らかの法的な制限が課されている場合には、その権限が会社の認めたものであり、関連の取引及び内容が会社によって記録管理されている。

3 法的な制限でなくとも第三者との契約その他によって会社の利用その他に制限が課せられている場合にはその内容とそれに関する承認と関連事項の記録及び管理が適切になされている。

六 第一審被告明和監査法人の前任監査人であるプライス・ウォーターハウス及びクーパース・アンド・ライブランドは、第一審原告の監査にあたり、このような銀行残高確認並びに実査を毎年度実施し、監査意見を表明してきた。

第一審被告明和監査法人の代表社員であり、かつ、本件監査の責任者であった亡加藤利勝公認会計士は、かつてトシュ・ロスという国際会計事務所の日本事務所の代表者をしていたこともあり、右監査手続を十分承知していた。このことから、加藤公認会計士は、第一審原告のような内部統制が極めて不十分な会社の定期預金の実在性についての監査手続には前記検証が必要不可欠であることを知っていたものである。

七 本件監査は、第一審被告らが主張するような日本の有限会社に基づく監査ではなく、会社の法形式の如何を問わない財務諸表一般の任意監査であり、その目的は会社の財務諸表及び監査報告書の利用者(本件の場合は会社の経営者及び親会社)に有用な財務情報を提供することである。本件の如く巨額の定期預金の使い込みがあれば当然のことながら、その事実を財務諸表に反映あるいは開示されなければならない。

第三三井銀行日比谷支店の定期預金証書が監査人の監査実施の際に提示されなかったことに関する監査人の過失について

一 第一審被告明和監査法人は、第一審原告の内部統制組織が極めて不十分であり、経理部長が独断で保管にかかる預金その他の換金性資産を不正に流用、費消することが可能であること、並びに第一審原告が工事前受金を常時受入れており、常に一〇数億円の余裕資金を有していることから、多少の資金流用等があっても直ちに露見しない体質の会社であることを十分承知していた。第一審被告明和監査法人は、このような会社には、往々にして従業員の不正流用がおこる蓋然性が極めて高いことを十分認識すべきであった。

二 このような会社の環境のもとで本件の一部の銀行の定期預金証書の不提示がおこったのであるから、監査人としてはまず経理部長の不正流用を疑うべきであった。

もちろんフォローアップの結果、定期預金証書が書換等から会社に新証書として戻ってきて、これを実査すれば、この点の疑念は解消する。

三 甲野経理部長の監査人に対する満期のために定期預金証書が銀行に出してあるとの釈明は監査人によって満期日後の新定期預金証書の再実査によってフォローバックされるべきであり、これにかえて銀行から定期預金の明細のリストを入手して済ますなどは、およそ職業的監査の専門家の判断とは到底言いえない。定期預金の明細のリストの入手などは全く無意味である。

四 以上のとおりであるから、第一審被告明和監査法人の右判断・処理は、通常の職業的監査専門家である公認会計士としての正当な注意義務からかけはなれた素人の判断である。

第四過失相殺の可否について

一1 監査人の会社に対する損害賠償義務と経営者の会社に対する損害賠償義務は会社に対しては併存関係にあるものであり、全く別個独立である。監査人と会社とは監査契約に基づいて委任関係にあり、経営者と会社とは商法二五四条三項に基づいて、委任関係にあるから、会社の従業員の不正行為の発見については、経営者も監査人も会社に対し、右委任契約に基づき義務を負う。会社に対する右従業員の不正行為発見義務についての経営者と監査人の責任は、右別個独立の委任契約に基づくものであるから、会社に対し不真正連帯債務を構成する。

よって、会社としては、従業員の不正行為により会社が蒙むった損害について、経営者に対しても監査人に対しても損害賠償を請求することができる。監査人と経営者の会社に対する損害賠償債務の負担割合については、経営者と監査人の間の内部にて決定すべきものであり、会社には関係のないものである。会社の所有者は株主であり、最終的には経営者も監査人も会社の株主に対し責任を負担しているものである。

2 本件において、会計監査人である第一審被告明和監査法人と被監査会社である第一審原告の取締役とは何ら契約関係になく、法律上過失相殺はできない。

本件監査契約は監査人と会社との間において締結されている。従って監査人と会社の取締役との間には何ら契約関係すなわち債権者・債務者の関係にはないものであるから、会社に対する債務不履行について第三者たる会社の取締役の過失をもって相殺することは理論的に不可能である。なぜなら一般に過失相殺においては、過失を主張する両者は債権・債務関係(契約関係)になければならないものであるが、会社と取締役は別個の法的主体であるからである。

従って、このような前提に立ちつつ、会社の過失による過失相殺を認めるためには、会社と取締役とが同一の地位に立つ、あるいは同一とみなし得ること、及び取締役に過失がなければならない。

二 監査人の監査過誤についての会社より監査人に対する損害賠償請求事件は、我が国においては、本件裁判が初めての裁判例である。しかしながら、米国においては、監査過誤についての裁判例は、本件裁判と同じく、監査人が従業員の不正行為の発見について監査過失があり、そのため従業員の不正行為発見が遅れ会社が損害を蒙むったことについて、監査人が会社に対し損害賠償を支払うよう命じた裁判例は数多く存在する。従って、監査過誤により、監査人が従業員の不正行為発見ができなかったことについて、監査人は監査を依頼した会社に対して損害賠償義務を負うことは、米国においては古くから確立した判例となっており、疑う予知のないところである。

ところで、米国の判例においても、右監査人の従業員の不正行為発見の義務違反について、経営者の従業員に対する監督義務違反の過失は過失相殺の対象となるかについて議論がなされている。米国においては過失相殺という用語ではなく、寄与過失という用語が用いられているが、米国の判例では、監査人の過失責任について経営者の従業員に対する監督義務違反を寄与過失とは認めておらず、経営者が監査人の監査の遂行に対し妨害をした場合にのみ、会社の寄与過失を認めているものである。

以上のとおりであるので、本件における経営者の従業員に対する監督義務違反については過失相殺がなされるべきではない。

また、監査人が経営者に対し印鑑の保管及び捺印方法の内部統制組織について指導勧告をしたが、経営者が右指導勧告に従わなかった場合の過失相殺の可否についても米国においては数多く判例があるが、経営者が監査人の勧告に従わなかったことについて、寄与過失を認めていない。

監査人が経営者に印鑑の保管及び捺印方法について指導勧告をしたにもかかわらず、経営者が右指導勧告に従わず、従前と同じ印鑑の保管、捺印方法をとっていることを監査人は知っているのであるから、監査人としては、その点に十分留意して監査を実施すべきものであり、右経営者が指導勧告に従わなかったことについて過失相殺はなされるべきではない。

三 本件監査契約においては、被監査会社である第一審原告には過失は存在しない。

監査とは「ある特定の個人または経営の行為や業務について、それと利害関係のある個人や経営者の要請に基づき、これら当事者以外の第三者が調査し、その結果を報告すること」である。従って監査契約とは、監査人と被監査会社との間において、被監査会社の財務諸表がその会社の財政状態・経営成績を適正に表示しているか否かについて意見を表明するということを内容とする準委任契約(民法六五六条)である。この監査契約においては、単にその監査意見の表明だけでなく、さらに誤謬や不正の発見・防止がその副次的内容となっていることは当然である。けだし、財務諸表の内容に重大な影響を及ぼす誤謬や不正があれば、その財務諸表は会社の財政状態や経営成績を適正に表示することができないから、監査人はそのことを調査し、報告・指摘しなければならないからである。

ところで、一般に過失相殺とは債務不履行(民法四一八条)または不法行為(民法七二二条二項)によって損害賠償責任が発生する場合において、損害を受けた者すなわち債権者または被害者側に過失があったときに、裁判所が損害賠償額の算定ないし損害賠償責任の有無を定めるに当たり、これを考慮して減額することをいう。

本件は監査契約の債務不履行に基づく損害賠償請求事件であるので、被監査会社に対する過失相殺が認められるには、監査契約の不履行に関する過失が存しなければならない(民法四一八条)。ここに過失とは、何らかの法的義務、あるいは信義則上の義務に違反する事実をいう。本件の監査契約において、被監査会社は監査人が会社の財政状態・経営成績を調査し、これを財務諸表に適正に表示されているかについて意見を述べるために、監査人に必要な資料を提出し、あるいは監査人が調査を行なう場合にこれに協力しなければならない義務があり、このような義務を怠り、資料の提出を拒み、あるいは調査を妨害したような場合には過失があったとして過失相殺がなされる可能性がある。しかし会社はそれ以上に監査契約によって、被監査会社の経営者あるいは従業員の不正行為を防止する義務を監査法人に対して負うものではない(もっとも被監査会社の経営者あるいは従業員が被監査会社に対しそのような義務を負うことがあることは別問題である)。なぜなら監査契約においては、その性質上、監査契約を締結する前提として、両当事者は被監査会社あるいはその会社の経営者・従業員が財務諸表に誤謬を生ぜしめる行為あるいは不正行為(損害を発生せしめる行為)を行う可能性のあることを当然の前提として認識し、このような行為を調査し、不正な行為が生じた場合はこれを指摘することによって、これを正すことを目的とすることに同意していたと考えることができるからである。もし被監査会社の側に、監査人に対する関係で従業員等にそのような不正行為を行なわせない義務があるとすると、事実上被監査会社が監査を行わせる意味がほとんどなくなるからである。

本件において監査契約をこのように解すると、被監査会社がその契約不履行となる事実、例えば資料の提出等を拒み、調査を妨害した等の事実が主張・立証されていない以上、過失相殺の前提となる過失はなかったものと考えざるを得ない。

四 本件において過失相殺を認めることは、法制度の目的あるいは当事者間の公平の原則に反する。

過失相殺の制度は、損害賠償制度を指導する公平の原則及び債権法を支配する信義則の立場から認められた制度である。監査契約においては、その債務者(監査人)は債権者(会社)の財務諸表の表示が適正か否かについて判断しその意見を明らかにすることが、その主たる債務内容であるが、さらにこれに関する会社の不正行為を指摘する債務を負うものである。従って会社(取締役・従業員)に過失(不正行為や損害を生ずる行為)があったからとして、過失相殺を主張し損害賠償責任の全部もしくは一部の減少を求めるのは監査契約の趣旨に反するものといえよう。なぜなら監査契約の不履行即ち不適切な監査(会社の不正行為を故意・過失により見逃す行為)を行い、その結果損害が発生しても、監査人は事実上常に過失相殺を主張することにより、全部もしくは一部の責任を免れることができることとなるからである。その結果、監査人は監査契約の不履行から生ずる危険の全部もしくは一部は常に回避することができるので、監査契約を真剣に履行しない恐れも生ずる。従って契約の解釈において、このような過失相殺を認めることは、一方の契約当事者である債権者の契約上の利益を著しく損なうものである。

即ち、このような過失相殺を認めることは、過失相殺制度の法的目的あるいは、当事者間の公平の原則に反するものである。

五 経営者の過失の有無、程度について

1 第一審原告の経営者が銀行取引印や手形小切手帳を甲野に保管させ、手形小切手等の発行を同人に任せていたことの前提として、昭和四七年に第一審被告明和監査法人の加藤が第一審原告の代表取締役インゲンホフに印鑑の保管及び捺印方法の改善を進言したか否かについて、加藤より第一審原告に対し右改善の進言は全くなかった。本件裁判において加藤が第一審原告に対し改善を進言したという証拠はない。

2 第一審原告の経営者が甲野経理部長に銀行取引印の管理保管を任せていたことをもって過失があるとするのは誤りである。

第一審原告は、経営者を含めて社員二〇名程度の小規模な会社である。右の如き我が国の小規模の会社においては、経営者が信頼のおける財務担当の経理部長に代表印を委ねることは通例である。小規模な会社の経営者は、営業、技術、庶務、財務及びその他の経営全般にわたる業務を担当するため、その一部門である財務、経理の日常業務について、いちいち時間をさくことができないからである。

第一審原告の経営者は、全般の経営方針を樹立し、受注契約の獲得のために国内及び海外の営業を行い、親会社への業務報告をし、親会社及び客先との技術打合せ、技術データの査閲などをしていたものであり、右業務遂行上時間的な制約があるため、已むなく経理の日常業務を処理するために銀行取引印の管理、捺印を信頼のおける経理部長の甲野に任せていたものである。よって、第一審原告の経営者の右行為に過失があるとはいえないものである。

第一審被告明和監査法人は、右事実を十分知っていたものであるから、右の点に十分留意して監査手続を行うべきであったのである。

六 過失相殺割合について

1 右のとおり本件裁判においては、第一審被告明和監査法人の過失相殺の主張は認められないが、仮に過失相殺が認められるとしても、次に述べるとおり第一審原告の過失割合は二割が相当である。

2 過失相殺は契約の両当事者に過失がある場合であるので、その負担部分の算定に当たっては、次のような基準を考慮して決定すべきであろう。当事者間の関係による義務違反の程度、契約の具体的内容、債務不履行に至った事情、債務不履行(結果)に対する関与の度合い、特殊な事情等諸般の事情がこれである。そこで本件について検討してみる。

(一) まず、もっとも重要な基準は当事者間の関係を考慮した義務違反の程度である。本件において一方の当事者は会社の取締役であり、経営の専門家であって、会社の業務執行に関しては権限と責任を負うが監査には責任を負わないものである。他方の当事者である監査人は専門的職業として会計・監査の専門家である。従って、両者の不正行為発見の能力と義務等から判断すると、取締役は会社に対して業務執行の権限(有限会社法二六条)を有するだけであるので、従業員の不正行為を見のがしたことは取締役の業務執行の範囲内の責任を生ずるに過ぎない(一般的な善管注意義務違反)。これに対し、監査人は、公認会計士、すなわち専門的知識を有する職業会計人としての高度の注意義務違反となろう。これらを総合的に判断すれば従業員の不正行為を発見できなかったことについての過失の割合は、監査の専門家である監査人により大きな義務があり、これを見逃した責任は監査人の方がより大であるといえよう。義務違反の程度から判断される過失割合は、少なくとも五〇%以上監査人にあるといえよう。

(二) 次に、契約内容が監査契約という特殊な契約であること、即ち従業員に不正行為が生ずる可能性を事前に認識しており、かつその不正行為の発見をその目的の一つとすることを目的として締結された契約であって、通常の取引契約等とはその性質を異にすることも考慮すべきである。

(三) さらに、債務不履行に至った事情として、本件において監査人が必要な監査手続を行なっておれば、定期預金を担保とする借入れや定期預金解約の事実を発見できたはずであるのに、これを怠ったこと、さらに監査人の無限定監査意見が不正行為の発見を遅らせたことが損害が生じた重大な原因の一つであるという事実を考慮しなければならない。

(四) もっとも債務不履行に対する会社の関与の度合いを考慮すべき事情として、監査人が経営者に対し、印鑑の保管及び捺印方法の内部組織について指導勧告したにもかかわらず、経営者がその指導勧告に従わなかったという事実が挙げられる。

(五) 本件の特殊事情として次の二つの点を考慮すべきである。まず第一は、本件は任意監査に関するものであることである。本件の会社は有限会社であって、本来専門家の監査はおろか、監査役の監査も法律上は必要でないにもかかわらず特に監査を依頼したことは、会社が特に不正防止の実を挙げることに大きな期待をしていたことが伺えるのであり、監査人も任意監査であることからその事情を承知していたと考えられる。さらに第二に、会社の取締役が外国人であることにより言葉や慣習その他の事情で、その従業員の管理能力におのずと限界があることを監査人が知っていたことがある。これらの事情は当事者間で承知していたと考えられる以上契約内容としてその解釈にも考慮されるべきである。

右の事情を総合的に考慮すれば、まず(一)により会社側の過失割合は少なくとも五〇パーセント以下であることが明らかとなり、さらに(二)ないし(五)の事情を考慮することにより会社側の過失相殺の割合は二〇パーセントであると断ずることができる。

第五損害額について

一 本件における損害額を算定するにあたって、手形所持人から手形支払債務の免除を受けた金三二五二万五〇五三円及び高谷が第一審原告に弁償した金七〇〇〇万円以上合計金一億二五二万五〇五三円は控除されるべきではない。

右金一億二五二万五〇五三円を控除しなければ、第一審原告の損害額は金三億四一四八万八九六五円となる。

二 第一審原告は本件裁判において、第一審被告明和監査法人が監査報告書を提出した昭和五三年二月二〇日以降に発生した損害を本件裁判において請求している。昭和五三年二月二〇日の監査報告書により甲野の不正行為が発見されていれば、それ以降の損害は発生しなかったはずであるからである。

ところで、昭和五三年二月二〇日の監査報告書により甲野の不正行為が発見された場合においても、第一審原告は手形所持人に対し裁判を遂行し、不正手形について手形所持人より手形金支払債務の免除を受けられたものである。

よって、右支払債務の免除額を損害額より控除することは誤りである。

三 また、高谷の第一審原告に対する弁償金の支払についても、昭和五三年二月二〇日の監査報告書において甲野の不正行為が発見されていれば、第一審原告は高谷より弁償金の支払いを受けることができたものである。高谷は、昭和五四年一月三一日以降金七、〇〇〇万円の弁償金を支払っているものであるが、昭和五三年二月二〇日に不正行為が発見されていれば、高谷はもっと多くの弁償金を第一審原告に支払うことができたものである。なぜなら、高谷の財務状態は年月の経過とともにより悪化していったからである。

高谷の財政状態は昭和五四年一月三一日よりも昭和五三年二月二〇日の方が良好であったことは明らかであるので、昭和五三年二月二〇日に不正行為が発見された方が、第一審原告は高谷より多くの弁償金の支払いを受けることができたものである。

以上のとおりであるので、右高谷の第一審原告に対する弁償金を損害額より控除することは間違いである。

第六社員の責任及び東京海上に対する請求について

本件裁判において、第一審被告明和監査法人が第一審原告に支払うべき損害賠償額は金三億四一四八万八九六五円である。

第一審被告明和監査法人において右金三億四一四八万八九六五円もの多額の金員を支払うべき資力がないことは、第一審被告明和監査法人の財政状態よりして明らかである。

(第一審被告東京海上)

第一審被告東京海上は、第一審原告の第一審被告東京海上に対する本件訴えは不適法であるので、訴えの却下の判決を求める。

その理由は以下のとおりである。

第一本件の訴えは、第一審原告が、第一審被告明和監査法人に対して有する損害賠償請求権に基づき、第一審被告明和監査法人が第一審被告東京海上に対して有する保険金請求権を代位行使するというものであるが、本件については債権者代位権の要件をそなえていない。

債権者代位権の行使については、(A)債権者の「債権ヲ保全スル為メ」に必要なこと、すなわち金銭債権の場合は債務者が無資力であること、(B)債務者が自らその権利を行使しないこと、(C)債権者の債権が履行期にあること、の三要件の具備を要するが、本件の場合、右に述べた(A)ないし(C)のいずれの要件も具備していない。

従って本件訴えは、債権者代位権を有しないものの権利行使であり、当事者適格を欠く不適法な訴えである。

第二債権者代位権と併合訴訟

併合訴訟は、債権者代位権や訴えの利益の要件を緩和する根拠とはならない。

本件のように会計監査法人の監査過誤により損害を受けたとする被監査会社が右監査法人に対し損害賠償を訴求すると共に、この訴に併合して、監査法人を被保険者とする公認会計士職業賠償責任保険契約上の保険金請求権を代位行使する場合においても、右の三要件を緩和してその行使を許すべきであるとする特段の理由はない。

この併合訴訟を認める判決は、つまるところ、紛争の一回的解決、或いは簡便、円滑な紛争の解決を求める利益のほうが、被害者にとってより大きいとの政策的判断を優先させたものである。しかし、このような考えは、元来が保険契約において、直接請求権を認めた約定が無いのにかかわらず、債権者代位権を認めることによって、これと同様の解決をはかろうとするところに無理がある議論というべきである。

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